た。その樽柿をかじりながら子供等は藁束の間に遊んでいた。
「あり難い菩薩様で、米を一粒恵んでやれば十粒にして返して下さる、」と巡礼の女の云った言葉を、彼はその時何等功利的な打算もなしに思い浮べることが出来た。
「お母さん巡礼の旅に出かけませんか。」と彼は云った。
「お前さんも一緒なら……。お父さんが亡くなられてから、私も一度N……の地蔵様にお詣りしようと思っていましたから。」
 母の答えは何如にも静かであった。
 眼を挙げてみると、遠い地平から、山の頂から、また高い青空から、帰り来れと招くがような誘惑があった。彼はそして母の方をまたふり返って見た。
「本当の巡礼でなくていいから、ただ地蔵様にお詣りに出かけましょう。」と彼は母に答えた。
 そして或る晴れた日の朝、二人は、下女に留守居をさして、二泊の予定でN……の地蔵尊参詣の旅に出た。何処かに帰りゆくような心で。そして二泊の徒歩の旅から帰って来た時、田の稲は殆んど刈られてしまっていて、晩秋の樹の梢に百舌鳥が啼いていた。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2005年12月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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