ことを私が説きだすと、あなたはふいに――意外にも――泣きだしてしまった。なぜあなたは泣いたのか。それはあなたの本心ではあったろう。だが、本心というものは、前後の見境もなくさらけだすべきものではない。私はあなたのその涙に誘惑された。
硝子張りの明るい湯殿で、のんびりと湯に浸りながら、暮れかけてる空を眺めた。それから酒をのみながら、丘陵の間の、松や杉の木立の影の、小さな村落の藁屋根から立昇る煙を眺めた。丘陵の谷間に夕靄が立ちこめると、いつのまにか月が出ていた。そうしたことが、旅に似た気分を私達に与えたにもせよ、そして旅にある男女は恋愛の危険に最も曝されるにせよ、あなたの涙がなかったならば、私は恋愛の楼閣を築き初めはしなかったろう。「もう遊びはいやです。あたしをほんとに愛して下さいますの。」あなたは泣きながら云った。「私一人を守って下さるなら……。」と私は云った。おう、何という言葉遣いをしたものか。そういう云い方を何が私たちにさしたのだろう。もうそれは遊びではなかった。私たちは誓った。大船から横浜をすぎて品川を出るまで、自動車の中で、私たちは手を握りあっていた。
その誓いを私たちは守った
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