れてあなたの家に出入してる岡部が、私たちの仕事に不安を覚えたのは無理もない。そして親切な彼のことだから、あなたから話すだけでなく、いろいろききただして、必要以上にあなたに饒舌らしたというのも、不当とは思われない。彼は親切な常識家である。物の道理や人情についてはよい理解を持っている。ただその理解が、平面的に働いて、立体的には――高さや深さの方面には――少しも働かないだけのことである。常識の有難さはそういうところにあるのであろう。あなたの多少の不行跡、私との関係も、三十そこそこのブールジョア独身婦人としてはまあ大目に見てもよいことだと、彼は考えたにちがいない。けれども、私とあなたとの公然たる振舞や、殊には金銭上の関係になると、寒心すべきことだと考えたにちがいない。あなたのためにもまた私のためにも、そうだ、私たちどちらのためにも寒心すべきことだと。
「君は富永さんから金を引出そうとしてるという噂だが、噂だけだとしても、僕は君のために心配でならない。」
農園の話が出た時、酒の席ではあったが、岡部は私にそう云った。それが、ほんとに心配そうな、私のことを思う親切気を眼色に浮べてのことだ。その眼色と冷かな批判の言葉とに、私はいちどにまいってしまった。彼に少しでも悪意の色があったら……それとも、どうせ私たちのことをよく知ってる彼だから、どういういきさつからかという動いた気持からの言葉であったら……私は助かった筈である。だがいきなり、金を引出そうとしてる云々と、而も親切気を以てなので、私は答える言葉がなかった。ごくつまらない平凡な言葉で、其の時の調子によっては、ぐさと人の胸をつき刺す[#「刺す」は底本では「剌す」]ようなものがある。
なんでこの男に分るものかと、反撥的に私は考えて、黙殺する態度をとった。そしてそのことをあなたに黙っていたのは、私の心が痛手を受けたからに外ならない。私は卑怯だったのだろう。心の痛手にふれたくなかった。そしてやはり農園の夢想を続けた。あなたにもその夢想を分ち続けた。
そこへ相次いで、あなたの裏切が起った。
富永郁子よ、このことについては、私の認識は明確ではない、然し結局のところ、裏切りという言葉でしか、私の胸に響いたものは云い現わせない。あなたの真情の動きがどういうものだったかは、私は知らない。だがあなたはこう云った。
「みますの娘と御自分とのこと
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