あった。それでも、どこがどうと際立ったものはなかった。みな、相当に酒がまわっていた。「みます」の二階のただ一つきりの室で、光度の少し足りない電燈の光が、静かな一座をてらしていた。餉台の上には、食いちらされた料理の皿が並んでいて、銚子の白い肌が目立っていた。岡部周吉が赤い顔をして、一人で饒舌っていた。村尾庄司が聞手になって、短い言葉を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]んだりうなずいたりしていた。島村陽一は黙って、時々にやにや笑いながら、頭の奥では自分一人の夢想を追ってるような様子で、なお酒をのんでいた。片隅に坪井宏はねそべって、煙草ばかりふかしていた。酔っていつまでも飲み続ける島村の酒量は、話の種もつきた折の座の白けを救う助けとなるのであったが、岡部の饒舌はそれよりもっと効果があった。彼の話はいつも尤もで、随って平凡で退屈だったが、飲み疲れたり語り疲れたりした場合には、そんなのが穏当なつなぎとなるものである。だがその晩、彼の平凡な退屈な饒舌には何かしら神経的なものがあって、沈黙を恐れてるもののようだった。初め島村と村尾と坪井とが飲んでいて、そこへ後から彼はやって来、つかまって仲間にはいったという事情もあるし、三人とは気合がしっくりいかないという点もあったが、そんなことよりも、時としては太々しいという感じを与えるほど落付いてる彼の態度に、うわついたところがあった。そこへ、電話だった……。
 その時彼は少女の心理というようなことを論じていた。みよ子が銚子をもってやって来たのを、じっと見やって、だんだん綺麗に女らしくなるじゃないかと、それも坪井に対する皮肉やあてつけではなく、まじめな調子で云いだしたのがきっかけで、昔、女学校の教師をしていた時のことを話していた。その頃彼はまだ独身だったが、独身の若い教師というものは、女学校では、その一挙手一投足が生徒たちの注目の的となる。それはまだ恋愛と名のつくものではないが、若い男性は一種の光で、少女たちは花で、太陽の光の方へ花はおのずから顔をむける。花弁の一つ一つが出来るだけ多くの光を吸収しようとする。期待と競争とが起る。だから若い教師は、教室でも運動場でも、空高く超然と照ってる太陽でいなければならない。もし誰か一人にだけ眼を留め顔をむけると、他の全部に嫉みと反感とが起る。それで彼は教室の中で、いつ
前へ 次へ
全17ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング