河以南の租界に住んでる彼等の多くは、其処が未だ日本に対する敵性の濃い英米の勢力圏内であり、随って重慶政府と密接な繋りを持っているだけに、単に一身の安全を図るためにも、抗日救国を口にせざるを得ないのである。
新支那中央政府の要人たる傳式説氏や趙正平氏などを中心とする文芸科学社関係のグループや、中華日報や新申報への関係の人々を除いては、たとえ和平派に心を寄せ東亜新秩序建設に志ある人々でさえ、表面上灰色的態度を取らざるを得ず、日本人と会談することなどは甚だしく警戒する。A氏の所で私達が逢った某シナリオ作家は、自然に自分の名前が知られるのを待つだけで自ら名乗ろうとはしなかったし、同じく氏の所で私が偶然同席した頼もしげな一青年は、互の姓名を知り合うことなどには全く無関心な態度を取った。数名の大学教授や文学者などと私達がひそかに会談し得たのも、彼等の間に信望のある自然科学研究所の上野太忠氏の斡旋に依るものだった。そして日本側と関係のある人々の許には、鉄血鋤奸団などというものからの脅迫状が舞い込んでいる。
彼等は何かしら憂鬱そうである。私達と会談しても、どこか心の扉を閉してる様子があり、日本に対する不満の点さえも明らさまには口にしない。その心境には孤独の影がさしているらしい。過去の信条が崩壊して未だ新たな確信を掴みきっていない悩みもあろう。
現在上海には、思想文芸の能才は甚だ少い。多くは奥地に遁入してしまっている。市内に潜んでいる者は之を見出すこと容易ではない。嘗て八・一三事件後、文化界救亡協会というのが共産党員によって作られていたが、文化人の奥地への遁入甚だしいため、新たに国民党系の人々によって文芸界救亡協会というのが結成され、その発会式には両派の激しい抗争があったそうであるが、それらの人々も今は求むる術がない。また嘗て魯迅と親交がありその一派から親しまれていた内山完造氏の周囲には、上海在住の文芸愛好者達から成る芸文会という集まりがあるが、その会合にも今は殆んど中国人の出席を見ないそうである。雑誌は数十種刊行されているが微々たるものであり、ただ新聞のみは賑かで、汪派の中華日報や新申報と、重慶派の申報や新聞報や大美晩報其他との間に、激越な政治的論争が繰返されている。
上海の文化活動の復興はいつのことであろうか。それには固より、新中央政府の実力が重慶政府を圧倒するのを俟たな
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