て、どの家にも電灯がついていました。
薄汚れた暖簾のさがってる蕎麦屋がありました。黒ずんだ卓子が土間に並んでいて、やはり兵営での面会帰りと見える人たちが、代用食らしい丼物を食べていました。
八重子もそこにはいってゆき、お茶を飲みました。そしてお上さんにいろいろ尋ねてみて、この辺には宿屋もなく、乗り物もなく、泊めてくれる家も恐らくないことを、知りました。
八重子は駅に戻りました。上り列車はまだ八時すぎのが一つありました。けれど本日分の切符は全く売りきれだということが、切符売場で確かめられました。
駅内の腰掛には、多くの男女が、何を待つのか、ぼんやり坐っていました。子供連れの者もありました。腰掛の上に寝そべってる者もありました。その片端に、八重子は腰を下しました。――一枚の乗車券を手に入れるために、徹夜して長い行列をつくる、そういう時代だったのであります。
八重子は眼をつぶりました。何よりまず梧郎のことが、瞼のなかに浮んできました。軍服がだいぶ身についてきたきりっとした態度、陽やけした顔にのぼる男性的な微笑、それでもやはり、お母さまという幼な時代通りの甘えた語調……。
食物は禁ぜられてるという面会所の隅で、袖屏風をつくって、重箱の中のおはぎをそっと示すと、梧郎は声を立てて喜びました。そして戦友というのを二人連れてきました。砂糖壺の底をはたいて拵えたおはぎの甘さに、三人が舌つづみを打つのは、涙ぐましい光景でありました。
その三人の話では、部隊はまもなく何処か遠くへ移動するらしいとのことでした。戦線は次第に日本周辺へ押し戻されかかっていましたし、九州地方はもう空襲を受けていました。だが、梧郎は母に向って、戦争のことなどは殆んど語りませんでした。笑ったり、眉をしかめたり、甘えたりして、日常事のことだけを話しました。然し三人の戦友の間では、戦争に関する事柄も少しく話題に上りました。そしてそこでだけ、八重子は、梧郎の、いや彼等の、雄々しい決心らしいものに触れました。その触れた感じは、なにか眩いに似たものがありました。
その眩いに似たものを、また、駅の木の腰掛の上で、八重子は感じました……。
腰掛にいる人々は、もうまばらで、誰も口を利きませんでした。うとうと居眠ってる者もありました。ただ眼を宙に見開いてるだけの者もありました。地下足袋の男が、ちょっと駅にはいって来
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