八月十五日、日本の降伏に次ぐ新回転の日が来ました。一ヶ月して梧郎は復員になり、九州から戻って来ました。
慌しい月日が過ぎて、七五三の祝い日に、今年七歳の末娘を持ってる山田清子のところへ、佐伯八重子は顔を出しました。清子は深見高次の実の姉で、深見高次の戦死のこともありますし、子供も数人あることですし、時勢をも考えまして、七歳の娘に御宮詣りはさせませんでしたが、家庭内で、ささやかな祝いを催しておりました。
その午後の一刻、佐伯八重子は、山田清子の私室で、久しぶりに二人きりで語らう隙を得ました。
室内には、さまざまなものが雑然と取り散らされていました。その中に、写真帳が数冊ありました。八重子は機械的にそれをめくっていました。話の方に気を取られていました。それでも、あるところで、突然、手をとどめ話をやめて見つめました。
島田髷に結った若い女の半身、洋髪に結った二人の女の舞台に坐ってる姿、二葉の写真が、そこにありました。それが、紛うかたなく、沼のほとりのあの女でした。殊に、舞台の方、金屏風をうしろにして、三味線をかかえた年増の人をそばに総のさがった見台に向って、ぴたりと、小揺ぎもなく坐っていますのが、あの女でした。
八重子はその写真を指し示しました。
「これ、誰ですの。」
清子は、写真の方ではなく、八重子の顔を眺めました。
「あら、御存じありませんの。寅香さん……それ、高次さんのあのひと……。」
「これが……。」
歌沢寅香、本名は小川加代子、かつて親戚や友人間に問題となった柳橋の芸妓で、深見高次の愛人でありました。
彼女と高次との間がどういうものであったかは、本人たち以外には分りません。表立った事柄としては、高次が周囲の反対を押し切って、彼女と結婚すると宣言したことでした。それから、周囲の反対が高まるにつれて、高次の意志もますます強固になり、一時、彼女に御座敷を休ませて、二人で旅に出たりしたこともありました。それから、花柳界の閉鎖や、高次の召集など、戦争の渦中に彼等も巻きこまれました。高次は出発に際して、かねてから二人の間のひそかな同情者たる姉の清子に、二葉の写真を預けましたきりで、彼女の生活や居所については何にも明かしませんでした。――それらの事件の間中、彼女の名前は、歌沢の方の名取たる寅香とばかり呼ばれる習わしになっておりました。
八重子は長く写真を見つ
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