て躾がよいとか賢明だと云うのもよかろう。然しその反面には、心の底に或る窒息されたものがあろう。少くとも少年文学は彼等のうちの何物をも窒息さしてはならない。小児の魂を失わない者、大人的な種々のものを獲得しながらも子供的なあらゆるものを大きく生長さしていく者、そういう者のことを考える時、或はそういうことの出来る社会のことを考える時、云い知れぬ愉悦を覚ゆるのは私ばかりであろうか。
 なお少年文学については、一種の理想、即ち少年の精神の嚮導となりそれに方向を指示してやるようなもの、それから一種のヒロイズム、即ち少年の精神を刺戟してそれに力を与えてやるようなもの、其他いろいろのものが要求されるだろうけれど、要するに、最高の極致にあるものは別として普通には、少年のそばに身を置いて書かれるということが最も大切であって、大人の立場からいろいろのものを押しつけるのは、彼等の何物かを窒息させることであり、彼等に生きてる喜びを与えるものでは決してない。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志

前へ 次へ
全9ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング