いた。頭の中に何かが働きを止めたような気持であった。明るい大通りを通ったり、うす暗い横町を通ったりした。そして小母さんの顔に沸き立った鉄瓶をぶっつけたことと、金さんが恐ろしい声をして立ち上ったこととを、きれぎれに思い出した。そして妙に心が何物かに脅かされてただむやみに歩くのを余儀なくされた。
「おいおい、」と云って巡査に一度呼び留められた。
「何所へ行くんだ。」
「白山。」と彼は答えた。
「お前の家は何だ。」
その時庄吉の心に棟梁の顔が浮んだ。「大留《だいとめ》」と彼はいった。
「大留と云うのは大工か。」
庄吉はもう何も答えないで、巡査の顔を見守った。
「よし早く行け。……白山はそっちじゃない。」
巡査は彼が道に迷ったとでも思ったのか、右へ行って左へ行って何処を曲るんだというように委しく白山への途筋を教えてくれた。
然し庄吉は教えられた方へは行かなかった。彼は少しでも土地の低い方へ低い方へと歩いて行った。丁度低きにつく水の流るるようなものであった。彼はただ低い方へ流れていった。そして街路《まち》を通る人達は皆彼と反対の方向へ行く者のように彼には思えた。雨の中を、傘をさして通る人
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