解な批評家をかかる誤謬に陥らせるのは、一方から云えば、作品の優れたる所以となる。なぜなら、作中人物が実在の作者と同一視せられるまでに、生々と描写せられてるわけになるから。然しながら、理解ある批評家をかかる誤謬に陥らせるのは、一方から云えば、作品に欠陥ある所以となる。なぜなら、作中人物に対する作者の眼が、徹底を欠いてるわけになるから。
 創作中の作者には、二つの働きがある。一は描出の働きであり、一は批判の働きである。
 作者は、あくまでも作中人物を生かしぬこうと努める。それがために、その人物に独自の個性を与えんとする。この個性は、作者が勝手に手を触るることを得ないものである。作者は、その人物が狂人ならばあくまでも狂人たらしめ、賢者ならばあくまでも賢者たらしめんとする。即ち狂人として描き、賢者として描く。この時作者は、作中人物になりきると云ってもいい。かかる働きを「描出の働き」と、かりに私は名づけたい。そして、この描出の働きの結果が、即ち作品の「書かれたる内容」となる。之を具体的内容と云ってもいい。
 作者はまた一方に、絶えず作中人物を見守ってゆく。その一挙一動を見守って、それに或る意義を
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