愛していたこと、今もあなたを愛していること、これからもあなたを愛し続けること。それだけを知っていて下さい。分りますね。喜久子さん、分ってくれますね。」
 私は呆然とした。ばかのような気持ちになった。それから急に、血がかっと頬にのぼるのを覚えた。同時に、恥ずかしいのか情けないのか分らない思いで、唇をかみしめた。気がついてみると、片手を手塚さんの両手で握られていた。身動きが出来なかった。何かで身体を縛られたようだった。ふいに、手塚さんの汗ばんだような生温い掌を感じて身体の縛めが解けた。私は手を引っこめた。二三歩しざった。
 手塚さんは、膝頭に肱をつき、両手を額にあてて、顔を伏せている。
 私は階下へおりて行った。口惜しさが胸にこみあげてきた。何か一言、言ってやりたかったのだ。どんな一言か、それは考えても分らないが、どんなことでもいい、言ってやりたかったのだ。なぜ黙っておりて来たのだろう。私はむしゃくしゃした気持ちになった。汚らわしかった。手を洗った。外に出た。
 冷やかな外気を深呼吸していると……突然、あれがまた、眼の中に蘇ってきた。
 桜の古木がそこにあったのが、いけない。桜の古い幹は、
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