ったら、本人だった。これは奇遇だ。一杯飲めよ。祝杯だ。」
私は飲めないと断ったが、しいてお猪口を持たせられて、祝杯を挙げさせられた。
一座は陽気に浮き立ってきた。
「君は似てるね。」
「誰にだい。」
「山田にさ。」
「俺が山田だ。」
「それは奇遇だ。」
そして祝杯。
「君は似てるね。」
「誰にだい。」
「野島にさ。」
「俺が野島だ。」
「それは奇遇だ。」
そして祝杯。
おかげで私は、先生以外の三人の名前も覚えてしまった。そして辞し去る機会を失った。
そんなことをして騒いでいるところへ、三十すぎの女と、まだ学校出たてらしい若い男が、先生をたずねて来た。二人とも雑誌記者だった。
「君は似てるね。」と先生が言った。
「あら、誰に。」と女は言った。
「あら、誰にか。よかろう。こんどは女言葉といこう。」
そして前の四人で、また始めた。
「あなた似てるわ。」
「あら、誰に。」
「啓子さんによ。」
「あたし啓子よ。」
「まあ、奇遇ね。」
そして賑かな祝杯。
私は呆れた。いったいこれが、新時代の苦悩の代弁者と目される中堅作家の、本当の姿なのであろうか。何かの擬態なのであろうか。私には
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