いわ。」と私は言ってみた。
お父さんはまた頷いて、しくしく泣きだした。何を考えてるのか、ちっとも分らない。嬉しくて泣くのか、悲しくて泣くのか、それさえも分らない。
横手のかなたに見える銀杏樹には、雀の声がもうしなかった。一群れずつ、ぱっぱっと四散して、どこかへ行ってしまったのであろう。
「あら、もう雀がいなくなったわ。すっかり明るくなったから、どこかへ出かけてしまった。」
黙っているのが辛くて、分りきったことを言ったが、そこで、私は真面目になった。
「お父さん、あの銀杏樹の雀ね、うるさいの、それとも楽しいの、どちらなの。雀がすっかりいなくなった方が、およろしいの、それとも、たくさんいた方が、およろしいの。」
「ほう、雀ね。好きかい。」
「好きよ。うるさい時もあるけれど。」
「そうだ、そうだ。」
お父さんは一つ大きく息をしたが、雀のことは要領を得ず、きょとんとしている。私は追求した。
「秋になって、銀杏の葉が散ってしまったら、雀はどうするんでしょうね。」
「同じだよ。」
「やはりあすこに住むのかしら。」
「住むね。」
「そんなら、わたしたち人間も、雀みたいだといいわね。空襲で家が焼けたって、焼け跡に住めばいいし、毎日あくせく働かなくてもいいし、一日中、ピイチクピイチク、鳴いておればいいし、わたし胸が張り裂けるほど鳴いてやるわ。」
半ば自分の気持ちをこめ、半ばお父さんを慰めるつもりで、言ってみたんだけれど、お父さんはもう鼻をつまらしていた。
「わたしが、働けないからね。お前たちにも、苦労をかけて、済まん。」
言ってるうちに、お父さんはもうしくしく泣きだしてしまった。雀のことなんか、お父さんにはどうでもいいんだ。ただ人間のこととなると、すぐに泣きだしてしまうのだ。私もふいに、涙ぐましくなった。
「大丈夫よ、お父さん。働くのは嬉しいことだわ。……あ、お母さんはお洗濯かしら。」
私は立ち上って、茶の間の方へ逃げて行った。もし涙を見せようものなら、お父さんは声をあげて泣きだすにきまっているのだ。
私は茶の間で、ちょっとお茶をのんだが、食事はやめた。食べたくなかった。お母さんの方へは行かずに、表へ出た。散歩するというわけでもなく、行くところもないので、裏の空地へ行ってみた。あのいやな醜い桜の木がある。通りすぎて、お寺のなかにはいっていった。銀杏樹がすくすくと茂りそ
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