目に、つんとして――多少真剣な時はつんとなるのが癖で――彼の方をじっと見た。
「あなた、そんなに子供が好きなの。」
「好きか嫌いか、分らないが、兎に角、いいよ、可愛いのは……。」
「そして、御自分には、可愛い子供が出来ないと思ってるの。」
「自分……僕に……?」
「…………」
 下眼瞼の円く開いた眼が、一脈の皮肉を湛えて、光っていた。
「ばか……ばか……そんなことを、云う奴があるか、そんな……。」
 だが、彼女は云っていた。
「生殖と、性慾満足と、性慾享楽……。第一のに立戻ることは、人間の生活が許さない。第三は、頽廃階級のことだ。第二だけが、生活的に正しい……。君は……君は……子供を産んじゃいけない……。また、浪費的に……。」
 記憶の奥を見つめた眼付で、舞台で台詞を云うような調子で……。
「ばかなこと、止せよ、そんな……。」
 彼は立上って、彼女の肩を捉え、笑ってるその両の頬を押え、仰向かして、接吻してやった。彼女は静な息をついた。
「どうしたんだ、今日は……何か……。」
「変に見えて? 自分でも分らないわ。いろんなことを考えたの。おかしいわ。ばか、ばかって、自分に云っても、ひとりでに、頭の中に、いろんなことが浮んでくるのよ。……あたし、随分、なまけ者になっちゃったわ。特別にして貰ってるけれど、いくらなんだって、場銭を出す時なんか、おかみさんの前に、顔が挙げられやしない。みんなにも、極りが悪くって……。そりゃあ、そんなことをして、何になる……そう、あなたと同じことを、自分で云うこともあるけれど、それだって、生活のためじゃないの。……いいえ、そうよ。だけど、やっぱり、生活って、一体、何だろう。ばかげてるわ。……女の仕事というものは、結局、百パーセントの媚を呈しなければならなくなる。男からそれを要求される。要求されてそうなる時には、百パーセントの媚が、百パーセントの犠牲になる。そして……その……百パーセントの犠牲を払って、少しの……十パーセントの生活を……。ああ面倒くさい! でも、よく覚えてるでしょう。あなたが云った通りよ。あたし、女優になればよかった。立派に台詞を云ってみせるから……。頭がいいんだわ。……安心してて大丈夫よ。よく覚えてるわ。決して、百パーセントの媚なんか……。いえ、五十パーセントの媚も……。それこそ、断じて! だけど、あたしが、あんなことしてるのを、やはり、女給なんかに出てるのを、あなたは嫌なんでしょう。あたしも嫌。……だと云って、どうすればいいの、働くことがいいんだ! 何をして働いたらいいの……。そんなこと、頭がくしゃくしゃしちゃったわ。自分で考えるわけじゃないけれど、いろんなことが、変に……。」
 どこか甘えたような、笑いをさえ含んだ調子で、彼女は口を利いていた。頭と心とがちぐはぐになってるような様子だった。その顔を、彼は見守りながら、底にあるものを探りあてようとした。
「何か、何かあったのか。」
「…………」
 暫く、眼を見合って、ふいに、彼女は快活に叫んだ。
「あれがいけないんだわ。」
「何?」
「軍人……将校よ、立派な。襟に赤と、肩に金線の、軍服をきて、サーベルの音をさして……。あたし、帽子をぬいで、丁寧にお辞儀をされて……びっくりしちゃった。」
「誰だい。」
「……アリヨシ……。」
「え、有吉……有吉が来たのか。」
「知っていらっしゃるの。アリヨシと、そう云えば分るって……。そしてまた、丁寧にお辞儀をして……。あの人、なあに?」
「少佐になったばかりの、なかなかやりてだ。何か云っていったのか。」
「何にも。ただ、また来ると……。」
「うむ……。」
「どうした人なの。」
「そら、僕が大変世話になった田代さん、その親戚なんだ。」
「あら、田代さんの……。あたしが逢って、悪かったかしら……。」
「ばかなことを……。」
「あなたと、懇意なの。」
「うむ……一寸した知り合いで……。」
 それ以上、彼は有吉のことを云わないで、口を噤んでしまった。眼鏡の奥に眼の光を沈めて、心を遠くに走せて……。
 二人の生活では、饒舌と沈黙とが急に移り変った。それが、いつしか習慣のようになっている。
 窓硝子越しに、戸外はほのかに暮れていた。電燈の光が増した。英子は、有吉のことが気にかかりながらも、それを聞くには時機を待つがよいことを、本能的に感じて、と同時に、何だか薄ら淋しく、食事のことを思い出した。
 粗末な餉台の上で、じゃが薯《いも》の煮たのと、鮭の焼いたのと……。
「御馳走はないのよ。」
「断るまでもないさ。だが、こんなのは、滋養分が多い……。」
「カロリーに富んでる……。」
「また、台詞か……。」
 二人は笑った。が言葉少なに……。
 食後、英子が俗謡を口ずさみながら、元気よく後片附けをやってる時、扉を開いて、小林の、
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