きりつけている。そこに、日本の立派な徳操がある。その徳操こそ、日本の善良な風俗を維持するものだ……。
 杉本は平然としていた。そして云うのである。――そういう説は、女に対する封建的な奴隷制度を是認する、誤った立脚点からのみ出発するものだ……。
 有吉は、大きな眼玉を心持ちほてらして、相手の顔を見据えていた。長い髭がしゃちこばった。
「理屈と実行とは別だ。君は、そんな……不徳な心でいるから……この頃、田代さんのところにも……。」
「…………」
「自分でやましいと思うから、顔出しが出来ないのならば、まだ取柄があるが……。」
「それは別のことです。」と杉本はあくまでも冷かった。「時々伺いたいと思っていますが、何だか、共通の話題もないし、余りに生活の距りが大きいので、ただお邪魔になるばかりのような気がして……。」
「ばかな、それは君の方のひがみだ。田代さんとは、よく君の噂が出る、君のことを聞かれる……。だいぶ左傾してるようだが、どうだろう、少し意見を闘わしてみたいものだと、そんなことも云われていた。時々顔を出すくらいのことは……。」
「それはよく知っています。父が死んでから、ずっと学費のお世話になってきたんですから、影で、感謝しています。僕が、個人的に感謝していいのは、世の中に、あの人一人くらいなものです。」
 云いすぎたかな……という気持で、杉本は相手の顔色を窺った。が有吉は、何か別なことを考えてるらしく、煙草を吹かしながら、窓から夜の空を眺めていた。やがて、その眼を手首の時計に落しながら、ふいに云った。
「君のそういう気持が確かなら、こんど、田代さんのところに来ませんか。」
「…………」
 杉本は、自分の皮肉な言葉が、逆の効果を持ったらしいのを感じた。
「実は、来月、十月の一日に、暑気のため一月くり延して、震災の思い出……といったような主旨で、内輪の者だけが集る筈です。毎年やってきたので……君も知ってるでしょう。……昨年は、君はたしかに来なかったが……今年は是非出たらどうです。」
 杉本は、奥深く、眼を光らした。
「昨年も……一昨年も……通知が来なかったものですから……。」
「手落だな。今年は僕が通知を出す筈だから……。」
「出席しましょう。」
 その後の沈黙に、何かしら敵意らしいものが感ぜられた。有吉は俄に坐り直した。
「長くお邪魔してしまった……。ではその時までに、
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