くには、何度あらしても、また鴨が出てきている。対岸の木更津付近には、何万という鴨がついている。鴨に交って、鵜や鷺や雁もいる。鴎は禁鳥だ。昔はモーターの音を嫌ったものだが、近頃では却って帆影を恐れ、モーターの音には馴れている。わりに近くまで寄せられる。ぱっと飛び立つところを打つのだが、たといそれても、朝の海上にターンと響く銃声だけでも爽快だ。
夏は投網。御台場の近くから、更に先方、或は江戸川口の方へと、それは潮加減による。ぱっと網が空を切って、円く拡がって水面におちると、速力をゆるめながら舟をくるりとまわすのだ。鱸、鯖、太刀魚、鯔、其他雑魚まで、数時間でバケツ四五杯はとれる。時には、魚群の上に全速力で舟をやると、魚の方から舟の中にとびこんでくる。
凡ては船頭任せだ。私たちはただ寝ころんで、空を眺め、海を眺め、煙草をふかし、雑談にふけり、鳥か魚かを珍らしがり、手で弄び、或は即席に料理して酒の肴にするのもよい。
然るに、元気だった彼女が、いつしか黙りこんで神妙にひかえている。獲物は固より、空の雲にも遠い帆影にも、もう興味をもたなくなったらしい。気分でも悪いのかといえば、そうでもない。腹でも痛いのかといえば、そうでもない。茶もサイダーも口にせず、いやにつんと澄しかえっている。何か彼女の機嫌でも害したことがあるのだろうか。だが、そんなことにかまってはいられない。広々とした空と海とのなかだ。些細な事柄は微風が吹き払ってくれる。
彼女の機嫌はいつまでもなおらない。そして、つんと上品に澄していたのが、急に、もじもじ身をくねらして、顔をほんのり赤らめて、「あのう……先生、」或は、「ねえ……××さん。」
そうこられると、こちらはちょっと面喰うのであるが、それがなんのこと、おしっこなのだ。子供や男のおしっこならよいけれど、女人方のは大変だ。舟を海岸に走らせ、而もそこいらに用を足せる場所があるかないか。そうなってくると、晴れやかな朗かな海上の興趣もふっとんでしまって……ああ、何の因果ぞや。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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