ました。しかし、私はじっと虫を殺して、平気を装い、お葬式には行かないでもよいと思ったと答え、もう東京にも倦きたから帰って来たと答えました。内心はともかく、うわべでは、無邪気なお芝居が出来るので、私は思わず頬笑みました。
 すると、突然、兄はやはり静かな調子で、「長谷川さんに誘惑されたんじゃあるまいね、」といきなり言ったのです。もうお芝居は出来ません。私は逆に反抗してやりたくなりました。ただ、驚いたことには、あなたと一緒に湯ヶ原に行ったことを、兄は知っておりました。一晩泊るつもりだったのが、二晩にもなってしまったのがいけなかったのでしょうか。それにしても、どうして兄にわかったのでしょう。私としては別に隠すつもりもありませんけれど、いけないのは、兄の態度です。なんでもないことのように、静かな調子で口を利きながら、眼つきで私の様子を窺っているのです。私はきっとなり、そして言葉少なになりました。
「お前ももう子供じゃないから、くどくは言わないが、ただ慎重に振舞ってくれよ。そうでないと、おれもたいへん迷惑するし、柿沼さんにも申訳ない。なにごとも、慎重にたのむよ。」
 それが兄の最後の言葉でした。
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