だお世話になったのは済まない、などと云うのだ。だが、事情というのは、或る事柄に関係していて――或る思想的秘密出版の手伝いをしていて、警察の方が懸念だったので、一時姿をかくさねばならなかった、とただそれだけのことなのだ。或はそれだけしか話せないのだ。而も、それも無事に済んでしまったらしいのだ。――つまらない。そんなことにこだわる必要はない筈だ。個人個人のこと、島村とかキミ子とか、二人の間の恩義だとか、そんなことは考える必要はなさそうだ。
「そんなことは聞かなくともいいよ。」と島村は微笑したものだ。「僕にだって大体の想像はついている。君たちは、もっと、個人的なことを離れていつも、社会だとか人類だとか、そんなことを考えていなくちゃならないんじゃないかね。」
キミ子は顔をあげて、びっくりしたように彼の方を見つめた。そして、同じようなことを――全く同じことを、よく聞かされたと、首を傾《かし》げている。こざかしい額が髪の下から覗いている。
「僕だって、それくらいなことは知ってるよ。ただ、僕はまだ君たちの仲間でないだけだ。」
「…………」
どうだか、という様子で、まだ首を傾げている。髪の毛が片方
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