がみな、食べられないようなまずいものばかりだ。皆がまずいと云う。彼女は笑っている。女中たちも笑っている。馬鹿げた無駄遣いなのだ。然しそうしたつまらないことが、子供たちを喜ばせ、家の中に一脈の色彩を添えるのだ。
その色彩に、最も敏感な立場にあるのは島村だった。彼はアトリエに籠って、自作の女人像に眺め入ることが多かった。それはみな女体を対象としたものだ。女体には特殊な香りがある。彼はそれを捉えようとしている。然し色彩は? それは女性から来るものだ。殊に若い女性から来るものだ。その色彩の捉え難さを、殊に表現し難さを、彼は自作の像を眺めながら発見するのである。扉の向うの、次の室では、キミ子が、麦桿で壺の底を吹いている。或は何かを読んでいる。それに対して彼は、殆んど女体は感じないが、一種の女性を感ずるのだ。そして彼の眼は、また塑像の方へ向けられる。何かしら或る苛立ちが、彼の胸に欝積してくる……。
そうした苛立ちもあって、彼は或る晩、友人に誘わるるまま、ひどく酒を飲んで、前後不覚に酔っ払ってしまった。初め天麩羅を食いに出かけたのがもとだ。翌朝、自宅の寝床で眼を覚すと、宿酔の気持の上に、腹がしくしく痛んでいる。腸の中に、恐らく天麩羅の蝦が停滞して、足ぶみをしてるのだ。そのたびに、腸の粘膜が痛み出す。そして脳味噌の中には、酒の滓が沈澱していて、重苦しい。彼は眼を開いたままじっと寝ていた。身動きするのも大儀だ。手足が、そして身体中の筋肉が、別々の物体になって、ただそこに寄り集ってるきりだ。午後になるまで、彼は起上らなかった。
そこへ、キミ子がやってきて、彼の床わきにぴたりと坐ったものだ。何だか彫刻でも据えたような恰好だ。そして生真面目に、御病気なら看護してあげると云う。それが本気なのだから可笑しい。病人を看護するには、何かが足りない。切りっぱなしの髪が、余りに無雑作だ。坐り方が、余りにも固苦しい。全体に、余りにも曲線が乏しい。看護人は、病苦の刺々[#「刺々」は底本では「剌々」]を包みこむふんわりした真綿みたいでなければならないのだ。島村は煙草に火をつけて、彼女の方を見やる。それにつれて、彼女も苦笑する。そんなら二日酔ですかってきく。まあそうだな。煙草の煙もそれに調子を合せる……。
「ゆうべ、コスモスにいらして?」
何かがちらと光ったような問いだった。コスモスというのは、彼女が
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