一員になりすましている。女中たちとも仲がよく、子供たちとも仲よしだ。だが、キミ子、それも本名だかどうだか分らないし、姓は尋ねても、笑って答えない。或る時、彼女が子供たちに話してる言葉を、彼は蔭から聞いたことがある。――「日本人同士は、名前の方が親しみがあっていいのよ。豊臣秀吉は、秀吉、加藤清正は、清正……。豊臣といったり加藤といったりする人はないでしょう。藤原鎌足や菅原道実だって、鎌足や道実で、藤原だの菅原ではないでしょう。東郷平八郎だって、もっとたつと、東郷大将じゃなくて、平八郎になってしまうわよ。ただ、外国人は別ね。いつまでも、トルストイだの、クロポトキンだの……。それでも、ナポレオンなんか、もとは名前よ。苗字はボナパルトというんだから……。」――それは詭弁だ。だがとにかく、彼女自身は、キミ子さんと皆から云われている。それがいつしか、耳になれてしまっているのだ。島村までがキミ子さんと呼んでいる。
キミ子が、女性だからよいが、男だったらそれでは少し変だったろう。然し、女だから困ることもある。彼女は自分の室で――アトリエの次の室で――よく髪を梳く癖があった。一寸した化粧道具は、浴室の脱衣場に、家のものと一緒に竝べているが、室にも櫛を一本置いていて、そこの鏡で、時きらわず髪を梳く。子供たちと遊んだり、掃除をしたりした後で、大して乱れてもいない短い毛を、さっさとなでつけるのだ。それが彼女の癖らしい。そのために、毛が落ち散ることがある。ところで、島村に云わすれば、女の毛髪は凡そ不潔なものの代表だ。垢と埃と油でこねあげたものだ。固より彼女の断髪は、油気の少いさっぱりしたものではあるが、それでも不潔なことを妨げない。掃除を一つの仕事にしている彼女としては、矛盾した仕業だ。而もそれが、アトリエの次の室だ。島村はよく眉をしかめた。彼女もそれに気がついた。然し、癖はやはり癖だ。
その一寸した癖を除いては、彼女は善良な娘だった。朝は早く起きて、女中たちと一緒に掃除だ。それから勉強的埃払い。夕方は台所の手伝い。それに子供たちの相手。全く小間使の生活だ。ただその小間使は、自由に金を使った。女中たちから小遣をもらっては、子供たちのお三時のために、或は晩の惣菜のために、勝手なものを買いこんでくる。果物や菓子はよいとして、罐詰やソースや肉類を集めて、訳の分らないハイカラなものを拵える。それ
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