のま新しいのをくしゃくしゃにまるめ、力一杯、石垣の上から海中に投げこんだ。帽子はまた広がって、うねりに揺れながらふわりと浮いていた。
今村の顔には次第に生気《せいき》がさしてくるようだった。南京町にいって、支那料理屋にはいり、老酒《ラオチュウ》をのみ、よく食べた。それから電車で東京に帰っていった。
電車の中で、今村は窓にもたれてうとうとしていた。その様子がすっかり心の落着きを示していたので、俺も安心して、言葉をかけてみた。
――波江さん、腹をたててたようですよ。あれで見ると、あなたのもくろみもまず成功だったわけでしょう。だが、最後に未練がましいことをして、きっと結んだ唇を差し出されるなんて、あまりいい図じゃありませんでしたね。その代り、帽子を海に投りこんだのは、ちょっと象徴的で、よかったですよ。
今村はうっすらと眼を開いて、また閉じた。そしてうつらうつらしながら、呟いたのである。
――最後のキスなんて、お別れの形式的なものだから、どうでもいいんだ。帽子のことだって、象徴的でもなんでもありゃあしない。ただ頭を風に吹かせたかっただけのことだ。頭を風に吹かせる……それが一番大事なこ
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