前頃から、今村さんの様子が違ってきました。正直に働くのはよいことだが、こんな商売より何かほかに仕事はないものでしょうかと、そういうことは前々からの意見なので、繰返されても別に不思議ではありませんでしたが、私が酒に酔っていると、妙に悲しそうな眼付でしみじみ見ますし、そのくせ御自分では、度々酔ってることがありました。或る晩、もう店をしまった時分にやって来て、締りをした表の戸をわざわざ開けさせ、そのくせ酒を飲むでもなく、私の顔をじいっと眺めて、握手をして、一度本気に殴りつけてやるから覚悟していらっしゃいと、そう云ったきり、呆気にとられてる私をすてて、立ち去ってしまいました。
 その、殴りつけるというのが、学校のお仲間の方へとんでいったので、私はびっくりしました。今村さんと御一緒に先生をしてる方で、一度今村さんに連れて来られてから、時々見える人がありましたが、その人の酒の上の話から、私はすっかり様子を聞きました。そして今村さんと私との仲がへんな風に伝えられてるのを知って、またびっくりしました。腹も立ちました。ためしに、平賀さんに向って、今村さんと私との間をどう思いますかと聞いてみると、どうだってそんなことは構わないと、問題にもしません。それで私はなお腹が立ちました。
 丁度その頃、私は平賀さんから頼まれて、或る御宅へ、夜の園遊会みたいなものの手伝いに行きました。広い庭に桜の花が見事に咲きかけていて、篝火がたいてあり、おでんや鮨の屋台が出ていました。お客は十二三人で、芸者衆も四五人来ているのに、何で私までも……と思っていますと、やがて、平賀さんから、向うにいる背の低い痩せた精力的な人を指し示され、あの人のところへ行って、戦争の話でも酒の話でも飛行機の話でも、何でもいいからきっかけをつくって、会社の増資が果して行われるかどうか、それだけを聞き出してもらいたいと頼まれました。そして私はそこの主人から、このひとも福岡の出身だといって例の人に紹介されました。それからとにかく増資のことを大体聞き出しましたが、そういう風ないきさつは、実家にいる時、また結婚先でも、いろいろ耳にしたことがありましたのに、その時だけは、へんに憤慨めいた気持がわいてきました。
 いろいろなことで、むしゃくしゃし、腹が立ち、自分自身が穢らわしくなり、そして今村さんの少し取乱した様子を見ますと、あの時のことが、あの
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