たのであるが、対象物の縮小と拡大というその正反対な動きは、私に種々のことを考えさせるのである。固よりこの正反対の動きは、見方の相違から来るのではあるが、創作という点から云えば、どちらも、焦点が合わなかったことを意味する。
「軍艦三笠」にせよ「錆びた銃弾」にせよ、共に特殊な主題ではあるが、これを一般論化して、象徴的意義に解することも出来る。実際のところ、人間について、その性格や心理や境遇や事件を取扱う場合、時として、見つめてるうちに、その対象物が次第に縮小していって消え失せたり、次第に拡大していって視野から溢れ出たりするのは、屡々経験することである。どこか眼の焦点が合っていないのである。眼の焦点が対象物にぴたりと合って、見つめることはただ対象物を明確ならしめるだけに過ぎないという、そうした場合こそ理想的であろう。然しこの理想的な場合は甚だ少なく、ともすると、見つめてるうちに対象物が延びたり縮んだりする。その延び縮みが甚しくなって、前述のような場合には、作品は書かれずに終る。そしてこの「書かれざる作品」は、吾々に種々のことを暗示し示唆してくれ、吾々を深く考えこませるのである。時としては、書
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