書かれざる作品
豊島与志雄

 横須賀の海岸に陸から橋伝いに繋ぎとめられ、僅かに記念物として保存されている軍艦三笠を、遠くから望見した時、私は、日本海大海戦に勇名を馳せた軍艦のなれのはてに、一種の感懐を禁じ得なかった。そしてその感懐が、ひいて三笠に対する興味となって、「軍艦三笠」と頭する小説を書いてみようと思うようになり、少しばかり記録を調べにかかったことがある。その時私の頭の中には、一個の存在として三笠が映っていた。軍艦という構造物ではなく、生きた一つの個体なのである。先ず、進水式があげられて、彼女は海に浮ぶ。当時他に比肩するもののない美丈夫なのだ。日本の近海を誇らかに漫歩する。そのうちに日露戦争となり、日本海の海戦には、旗艦として僚艦の先頭に立ち、縦横に駆馳して旗艦を逐い、輝かしい凱旋をする。然るに其後、彼女の生活は次第に衰運に向かい、新式の優秀な軍艦が相次で現われ、彼女は遂に記念物として、ミイラ的な存在を横須賀沖に続けることになる……。そういうことを、じっと考える場合、乗込員などはもう私の頭には映らず、艦長や司令官なども彼女のうちの一微粒子となり、「皇国の興廃……。」の信号も彼女
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