くても、二人には酒ときまっていた。彼等がソバを食べてるところを私は見たことがなかった。
 おばさんはにこにこしていた。酒の燗をしながら言った。
「今ね、あまり飲ませなさるなと、忠告されたところですよ。」
「あの婆さんにでしょう。そんなら、猶更飲んでやろう。丁度いい、これで飲み納めだから。」
 おばさんはまたかという眼つきをして、くすりと笑った。
 内山は酒を飲んでるうちに、へんに真剣らしい眼つきで天井を仰いだ。それからおばさんの方をじっと見た。
「おばさんは相変らず肥っていますね。心が円満だからな。大丈夫、神経衰弱なんかにはなりません。」
「そうですとも、大丈夫、なりませんよ。」
「いったい、この頃、たいていの者はみな、精神のバランス、釣合いを失っていて、そのため、意志薄弱になっていますね。酒を飲みすぎるのも、意志薄弱、猫いらずを飲むのも、意志薄弱のせいでしょう。」
 おばさんは頬の肉を少し固くした。
「内山さん、死んだひとのことなんか、気にしないがいいですよ。」
「勿論、気にしませんよ。僕に何の関係もありませんから。ただ僕が言いたいのは、生命をぞんざいに扱う者が多すぎるということです
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