注意しいしい頁をくっていると、ふと、雨滴の音が耳についてきた。遠くごーっと地響きをさせ、近くざーっと捲き返してる、二様の波音の間に交って、そして金属性の虫の声の合間に、ぽたりぽたりと、軒から砂の地面へ落ちる雨滴の音が、はっきりと聞えている。
 私はその音に耳をかしてるうちに、変にいぶかしい気持になって、開いている雨戸の間から覗きに立っていった。空には一面に星が輝いていて、雨の気配は更にない。おかしいな、と思う心が働くと共に、私はもう下駄をつっかけて、縁側から庭に降り立っていた。
 爽かなそして露っぽい夜だった。月のない空には、あらん限りの星がきらきら輝いて、南から北へ走る茫と仄白い銀河を中心に、低く高く懸っている。その一つ一つが、暗い空のなかに、はっきり浮出して冴え返って、見つめていると気が遠くなるほど、無限の距離に散らばっている。そしてその光に乗って、殆んど感じ知られない何かが、銀線の震えのようなものが、一面に地上へ降り濺いでいる。気がついてみると、地上にはしっとりと露がおりて、芝草の葉は重く垂れ、砂は深く湿っている。軒から落ちる雨滴と聞いたのは、屋根にたまって滴る露の雫だった。
 再び室の中にはいっても、私は書物を伏せたままにして、軒端の露の雫に耳を傾けていた。ぽたり……ぽたり……と、丁度糠雨の降る時のような雫の音で、それが大きな波音の間々に、しめやかな釘を打込んでいく。私はいつまでもぼんやりして、虫の声と雫の音とに、無心に聞き入りながら、煙草ばかり吹かしていた。どうしたことか、いつもは無雑作に投げすてる煙草の吸殻を、円い瀬戸の火鉢の縁に沿って、丹念に頭を揃えてつきさしてるのだった。
 何時頃だったろう。時計は止ってしまっていた。遠くで鶏の声がして、冷々とした風が吹き込んできた。私は毛布を引寄せて、それをきて机の前に寝そべって、暫の間うとうととした。それからふと眼をさまして、冷気にぞっとしながら、夢現《ゆめうつつ》のうちに布団の中にはいった。
 翌朝眼を開いた時、室の中には電灯がともっていたが、その光に交って、隅々まで茫とした妙な明るみがあった。半身を起して眺めると、閉め忘れた雨戸の間から、白々とした夜明の微光が見えた。
 盲《めし》いたようなおかしな夜明だと思ったが、縁側から眺めると、それは深い霧のためだった。南寄り東に海を受けた、その海の面に濛々とした霧が低
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