困窮していたらしい。そんなことは私によく分らなかったものだから、まだ同書院をやってた当時、十一谷君が私の困窮を見て、私の負債整理に尽力してくれた頃、「とにかくお互に有無相通じて急場をきりぬけよう。」と云ってくれたのを、私に気兼ねさせまいとの老婆心からだろうとそのまま聞き流したのを、今となっては心苦しく思うのである。
 みだりに胸襟を開かず、狷介狐高、体面を保ち、終始矜持をもち続けた生活を、十一谷君は守り通したのだった。一人の兄と二人の弟とのために可なりの金を負担し、更に好日書院のために可なりの金を負担し、そして一昨年母堂の病死、昨年弟の病死、その後に自身の病気なので、療養も意の如くならなかった。それ故、私たち――川端康成君や三宅幾三郎君や菅忠雄君や秋山数夫君など、いろいろ心配して、文壇の知人関係から見舞金を集めようとはかったのであるが、十一谷君はそれを耳にすると、あくまで固辞し反対した。尤ものようでもあるから、その企ては止めることになった。然しながら、そういう人柄だったに関らず、新らしく知り合いになった者にたあいなく惚れこむ癖もあった。その代り、親しい者ともやがて疎遠になることがあった
前へ 次へ
全11ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング