面識があったので、私はその芸妓と飲む時には屡々十一谷君を連れだした。然しいずれの場合にも、十一谷君は余り杯を重ねず、面白いのか面白くないのかさっぱり分らない様子で、ただ笑顔を示すきりだった。其後、私はあまり酒をのみすぎて十二指腸潰瘍にかかり、病が癒えて後もなおこりずに酒に親しみ、従って十一谷君を誘惑する念を捨てはしなかったが、然し私が所謂悪友になるより以前に、十一谷君の方で病気になってしまった。「酒でも飲んでおれば肺病になんかならずに済んだ筈だ。」と私が怒って云った時に初めて、十一谷君は素直に同意を表してくれた。
そうした十一谷君が、ただ一度、昭和三年から四年にかけて四五ヶ月、酒か何かに耽溺したことがあった。本郷肴町の裏の方に小さな鳥料理屋があって、一時は殆んど毎日そこに入りびたっていた。さすがに私も多少心配し、それとなく意見したこともあったが、十一谷君は何となく私を煙ったく思ってる様子で、少しも心境を打明けてくれなかった。その料理屋の主婦とその伯母らしい人と家族同様に馴染み、また後で聞いたことだが、新橋の或る芸妓をそこに呼び寄せたりしていたそうだが、固より色恋の問題はなかったらしい
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