まじまじと兼子の顔を眺めていた。
そういうことがよくあった。どうかすると縁側に立って、「お母ちゃん。」と口走ることさえあった。兼子が行くとその顔をじっと見てから、「お母ちゃま、お母ちゃまね、」と云った。
「お母ちゃん[#「お母ちゃん」に傍点]」と「お母ちゃま[#「お母ちゃま」に傍点]」とは、依子にとってははっきり異った存在であることを、彼は早くも気付いた。一方は敏子のことであり、一方は兼子のことであった。
彼は依子の心を思いやって、どうしていいか分らなかった。然し彼女がそういう所まで落ち込んでいる以上は、どうにかしてやらなければいけないと思った。またこのことを、兼子へ知らしたものかどうかをも迷った。けれどもこの方は、彼から知らせるまでもなかった。彼女の方でも早くも気付いていた。彼は兼子がこう云ってるのを聞いた。
「これからはお母ちゃんとお呼びなさい、ね。その方がいいでしよう。ちゃま[#「ちゃま」に傍点]というのは云い悪いから、ちゃん[#「ちゃん」に傍点]とするのよ。ね、いいでしょう。」
依子は首肯《うなず》いてみせた。けれどもこう答えた。
「いやよ、お母ちゃま[#「ちゃま」に傍点
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