中々歩き出そうとしなかった。彼も仕方なしに立っていた。やがて瀬戸はこう云った。
「やはりお前に云って置いた方がいいだろう。実はね、永井の奴変なことを云いだしたものだから、私《わし》は怒鳴りつけてやったのさ。奥様に児種がおありにならないとしますれば、敏子もどうせ生涯独身を続けると云っていますから、お側に仕えさしても……。」
「僕の妾に、というんですか。」
「まあそうだね。だから、今後永井も敏子も近づけてはいけないね。勿論敏子は何も知らないのだろう。早く云えば、永井の喰い物になってるんだね。」
彼は瀬戸の顔を眺めた。街灯の薄暗い光を受けてるその顔は、笑ってるように見えた。
「伯父さん、揶揄《からか》ってるんですか。」と彼は云った。
「ははは、」と瀬戸は笑い出した。「揶揄《からか》われたと思うような心なら、まず安心だよ。然しね、兼子にそんな疑を起させないようにしなければいけない。。それが一番大切なことだ。」
「兼子は僕を信じています。」
「それはそうだろう、夫婦の間だからね。……まあ兎に角、二人で円満にあの子を可愛がるんだね。」
彼は瀬戸と別れてからも、暫く其処にぼんやり立っていた。謎を
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