彼はじっとしてるのが苦しくなった。坐ってる膝頭をやけに揺ぶった。変に気持ちがねじれてゆきそうだった。
二人きりになった時、兼子は彼の腕に縋りついてきた。
「どうしたら宜しいでしょう?」
「どうしたらって、今になって仕方はないじゃないか。今更向うへ取消すわけにもゆくまいから。」
そう云いながら彼は、何を云うんだ、何を云うんだ! と自ら心の中でくり返した。それでも彼は、先刻母へ向ってあんなことを云った同じ口で兼子を説得しようとしていた。
「兎に角、そうした方がいいかも知れない、もう茲まできてしまったんだから。子供も、一生父なし子で暮すよりは、公然と家で育った方が幸福だろう。その幸福は、凡てをよくなしてくれるかも知れない。たとい一時はつらくっても、母親は、それを喜ぶに違いない。そして、お前とお母さんとは、いい出した本人じゃないか。あの子を実の子のように愛してさえくれたら……愛することによってお前の生活が、晴々としたものに、そうだ、晴々となったら、僕はどんなに嬉しいか知れない。僕にはあの子を愛せられないかも分らないけれど……。」
「あなた!」と兼子は云った。
「僕は元来子供は嫌いなんだ。然し一緒に暮してると好きになるかも知れない。当然憎むべきお前でさえ、あの子を愛すると云うんだから……。僕は心からお前に感謝してる。お前があの子を愛してくれるのは、僕の過去の罪を二重に浄めることなんだ。而もそれによって、お前自身の生活にも張りが出来てきて、陰欝でなくなるとすれば……。」
彼はふと口を噤んだ。自分でも、本当のことを云ってるのか嘘を云ってるのか、分らなくなってしまった。偽善者め! と嘲る声と、痛切な感激の声とが、同時に心の中に響いていた。
俺はやはり子供を引取りたいのだ! 彼は其処まで掘りあてると頭を一つがんと殴られたような気がした。五年間父親から無視された小さな存在、眼の大きいお河童さんの子、膝を揃えてお辞儀をした子、はにかんで畳につっ伏した子、言葉の上品なおとなしい子、……その上種々のものが眼に見えてきた、小さな手、貝殼のような爪、柔い頬、香ばしい息、真白い細かい歯並、澄んだ真黒な瞳。――誰に似てるのかしら? 彼は敏子の面影を思い起そうとした。然しただ、肉感的な肉体だけしか頭に浮ばなかった。ともすれば、面長な首の細い兼子の姿が、一緒に混同されがちだった。記憶を押し進むれ
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