そこまで尋ねることは、私には恐ろしかった。私自身、ひそかに手に入れた毒薬を、カバンの底に秘めている。彼もたぶん、毒薬をどこかに秘めてることであろう。私達は互に、そのことをおぼろに感じながら、あらわに打ち明けはしなかった。服毒入水、それが最も気安いと、熱い抱擁のうちに嘗て囁き交わしたことがある。
 けれども、生きるも死ぬるも一緒だと誓い合っただけで、死をはっきり覚悟してるわけではなかった。外部の事情だけが切迫していた。私と平田とのことを感ずいた私の夫は、他の女に二人も子供を産ませ、戸籍には私との間に出来たものだと届けておきながら、私の恋愛を厳しく訊問した。私は潔白だと言い張った。夫は更に激怒して、もし潔白でなかった場合には、誰彼の用捨なく相手を殺してやると威嚇した。男の面子とやらいうものであろうか。ほんとに殺しかねない夫の性格を私は知っている。平田の方にも妻子がある。その妻は彼の恩師の娘なのだ。事が表立てば、彼は学校をも世間体をもしくじるだろう。而も既に、私達の仲は知人間に噂が高い。その上、私も彼も無理な金策をしており、その点でも破綻しそうになっている。私の夫が旅行に出たのを幸に、私と
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