山上湖
豊島与志雄

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 十月の半ばをちょっと過ぎたばかりで、湖水をかこむ彼方の山々の峯には、仄白く見えるほどに雪が降った。翌日からは南の風で少し温く、空晴れて、宵に大きな月がでた。
「まあ、きれいな月……。外に出てみよう。」
 誘うともなく、誘わぬともなく、言いすてて、私は外套をまとい、スカーフを首に巻きつけた。
「ちょっと待って。これで大丈夫かな。」
 寒くはないかという意味なのだ。シャツの上に湯上りと丹前を重ねただけの平田は、あわてて、ジャケツを着、帯をしめ直し、合のオーバアを肩にひっかけて、私のあとについて来た。
 そんなこと、なんでもないことなのだが、今では、私の気にさわるのだ。月夜の湖畔のそぞろ歩き、それも二度と出来るかどうか分らない私達ゆえ、出かける時に、それにふさわしいしっとりした言葉のやりとりが、感情の照応が、あってもよい筈だった。私の
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