底は、海面に近いぐらいよ。それで、水死人が、深く深く沈んでゆくと、水圧のために浮き上らなくなり、立ったまま、底のへんを、ふらりふらり歩いてるの。そんなのが、たくさん歩いてるのよ。」
 ほんとにそんな風に、私は信じたかった。
 しばらく間を置いて、平田は言った。
「それは、おかしい。水圧で浮き上れなくなることは、あるかも知れないが、人間の身体は、頭の方が重くて足の方が軽い筈だから、立っているとすれば、逆立ちになるわけだが……。」
 私は一歩足をとめて、彼をちらと顧みた。彼は沖の方は見ずに、月を仰いでいる。湖水の底の死体どもが、真直に立たずに、逆立ちして、ふらりふらり動いてるとすれば、それはなんと奇怪な光景だろう。そんなことは到底信じられない。
「ほんとかしら。」
「何が。」
「死体の話。」
「君がそう言ったんじゃないの。」
 声の調子は、私の話をばかにしてるのではなかった。それかと言って、真実と思ってるのでも勿論なかろう。逆立ちのことは、ただ理論的訂正なのだ。ただ理論的訂正。
 私はローレライの歌を口ずさみかけて、やめた。
 はっと思い出したことがある。――平田の奥さんの知人に、霊感の強い中年婦人がいる。日蓮宗の信者で、さる修験者について修業をし読経中ばかりでなく、日常の間にも、ふっと精神統一の境にはいることがある。そして霊感で得る言葉を口走る。予言的なことがよく的中する。人の生死を言い当て、吉凶を予見し、ものの怪のたたりをあばきだす。勿論彼女は、普通の行者のようにそれを業とはしない。頼まれても頼まれなくても、自然に発するのだ。その婦人が、よその家で、平田の奥さんに向って、危難を免れる、と二度ほど口走った。何のことやら、彼女自身にも奥さんにも分らないのだ。解釈はどうとも御自由だというのである。そのことを、奥さんは平田に話した。丁度私の夫が、私の恋愛の相手を殺すとか殺さないとか、いきり立ってた時のことだ。平田は私に笑い話として伝えた。だが私は胸にこたえた。私は日蓮宗を信ずるのでもなく、霊感とか霊気とかを信ずるのでもないが、その婦人に逢ってみたくなった。平田はてんで取り合わなかった。彼にとっては、すべて迷信なのだ。
 迷信排除と、理論的訂正。
 平田は唯物論者なのだ。それもよい。だけど、思いつめたあげくのこの山上の湖水で、強い精神的閃めきを私は彼に期待した。唯物論者にも精
前へ 次へ
全12ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング