四日めの夕方、私たちは淵のそばにあつまって、がっかりしました。なまずはもう逃げたのかも知れません……。
「あ、いたいた……いたよ」
 誰かの声がして、みんなで見ると、たしかにいました。大きななまずが、金色の髭をはやして、淵の底のほうを悠然《ゆうぜん》と泳いでいきました。たいていみんなが見たのです。
 すぐに、淵のしもての浅瀬《あさせ》に簗《やな》をはりました。これでしもてに逃げることはできません。かみては滝ですから、そちらにも逃げられません。もう淵のなかにとじこめてしまってのです[#「しまってのです」はママ]。
 私たちはよろこびいさんで、翌日の朝はやくから、淵にあつまりました。網や大ざるをもちよりました。そして裸になって、淵のなかにとびこみました。
 淵のなかは、あちらこちらに岩があり、岩の下には洞穴《ほらあな》があり、小石がごろごろしていましたが、ごみはなくてきれいでした。深さは大人の胸ほどで、滝の水が一方からざあざあおちこんでいます。そのなかで、網をはる者、しゃくう者、水にもぐる者、おおさわぎでした。
 けれど、金色の髭《ひげ》をはやした大きななまずは、いっこうに見つかりません。手や足にさわった者さえありません。大きななまずどころか、ほかのめぼしい魚もいず、淵《ふち》のなかはがらんとしてるようでした。
 それでも私たちは、一日あさりつづけました。身体《からだ》がひえると、着物をまとって、草原の上にねころんで、てりつける太陽の光にあたりました。夕方ちかくなると、焚火《たきび》をしました。だんだんがっかりしてきて、口をきかなくなりました。もうだめのようでした。
 その時です、いちどに両方から声がしました。
「いたよ、いたよ」
 淵のなかと、西の空と、両方をむいてです。西にかたむいた太陽が雲にかくれようとしていて、そのきれぎれの雲の一つが、なまずの形になって、金色の髭をはやしていますし、それがそのまま、淵の水のなかにもうつっています。それを、私たちが両方見くらべてるまに、もうすーっと、雲の形はくずれ、淵のなかのも消えてしまいました。
 私たちはあっけにとられて、言葉もでませんでした。
 けれど、それからというものは、朝や夕方の雲の形に、なんとなまずが多くなったことでしょう。そして淵のなかにも、なんとなまずがたくさんになったことでしょう。みんな、金色の髭をはやした大きな珍しいなまずでした。

      三 かき

 家のまえに大きな柿《かき》の木がありました。いっぱいなってるその柿が、秋になると、赤く色づきました。
 私と正夫はそれをたくさんたべました。あそびにくる村の子供たちにもわけてやりました。朝露《あさつゆ》にひえたつめたいのをかじるのが、いちばんおいしくありました。
 そして柿は、まもなくなくなってしまい、ただ一つだけ、たかい梢《こずえ》にのこりました。すっと空たかくつきでた枝の先に、たった一つなっているので、登ることもできず、竿《さお》もとどきませんでしたが、それよりも、そのいちばんたかい一つだけは、ただなんとなく残しておいてやりたかったのです。
 その一つの柿は、まるで柿の木の旗みたいでした。まんまるな大きなもので、朝日や夕日に赤くかがやきました。
 山奥の秋は、早く寒くなります。やがて、柿の葉は黄色くなり、下枝《したえ》の小さな柿や、半分われた柿なども、すっかり熟して、小鳥にたべられてしまい、黄色い葉はだんだんちっていきました。けれど、たかい梢の一つの柿は、もうやわらかく熟しながらも、やはりついていました。
 私はそれが気がかりになってきました。もうあんなに熟してしまってるのに、いつまでああしてるつもりなんだろう。下におちるかしら。それとも小鳥にくわれるかしら。くわれるとしたら、何の鳥にだろうかしら。
 正夫も同じようにそのことを考えていました。
 そして私たちは、できるだけその柿《かき》を見ていることにしました。下におちるか、どんな鳥にくわれるか、それとも……。
 家の庭から、その柿がま正面に見えました。風のあたらない、日のよくさす、暖かい片隅《かたすみ》に、腰掛《こしかけ》をもちだして、私は正夫に本をよんできかせながら、二人とも時々目をあげて、梢《こずえ》の柿をながめました。青くすみかえった空たかく、柿は赤々とかがやいています……。
 その柿と同じような赤い着物を、巡礼《じゅんれい》の赤ん坊がきていたのです。巡礼というのは、まだ三十歳ばかりの女で、菅笠《すげがさ》、手甲《てっこう》、脚絆《きゃはん》、笈摺《おいずる》、みなさっぱりしたみなりでしたが、胸に赤ん坊をだいていました。おずおずと庭にはいってきて、静かなひくい声でいいました。
「今晩、どこでもよろしゅうございますから、お宿を、お願い申したいんでございますけれど……」
 赤ん坊なんかだいているへんな巡礼でしたけれど、その赤ん坊の着物が柿の色と同じようなので、私はなんだか泊めてやりたい気がしました。
 正夫も同じ気持ちだったのでしょう。小父《おじ》さんをさがしに家のなかにかけていって、まもなく戻ってきました。
「泊ってもいいんだって……」
 巡礼の女は、うれしそうにおじぎをしました。
「それでは、夕方まいりますから……」
 そして出ていきました。
 私と正夫は目を見合わせました。どうもへんな巡礼なんです。
「僕が見てきましょう。へんだなあ……」
 正夫が巡礼《じゅんれい》のあとをつけていったので、私は一人でぼんやり夢想《むそう》にふけりました。
 ながい時間がたったようでした……正夫が戻ってきました。巡礼の赤ん坊をだいてるんです。にこにこ笑っていました。
「おかしな女ですよ。赤ん坊をわらのうえにねかしといて、自分はたんぼのなかにはいりこんで、落穂《おちぼ》をひろいはじめたんです。だんだん向こうへ遠くへいっちゃうんですよ。僕この赤ん坊がかわいそうになったから、だいてきてやりました」
「どれ、かしてごらん」
 私はその赤ん坊をだきとりました。赤ん坊はまだすやすや眠っていました。ふうわりと軽くて、まるで綿のようで、頬《ほほ》をつついてみると、つるつるしてやわらかで、かすかに乳《ちち》の匂《にお》いがしていました。
 けれど、あんまり軽くて手ごたえがないので、やがて心配になりました。正夫といっしょに、巡礼の女をさがしに行きました。
 秋の日がいちめんにてっていました。見わたすかぎり、野山《のやま》は黄色く、とりいれのあとのたんぼはくろずみ、空は雲一つなく晴れわたっていました。
 ピーヒョロヒョロ、ピーヒョロヒョロ……。
 とんびの声がします。一羽のとんびが、空たかくゆったりと舞っているのです。
 向こうのたんぼのなかに、五六人の村人たちが、巡礼の女をとりまいて、何やら大声をたてていました。そしてみんな、空をあおいで、とんびを見てさわいでいました。私も見あげました。よく見ると、たくましいとんびで、足に何か赤いものをつかんで大きく円をえがいてとんでいます。ピーヒョロヒョロと、さもうれしそうにゆったりと舞っているのです。私は村人たちの方へやっていきました。
 近くまで行くと、私の方を見て、巡礼《じゅんれい》の女が、いきなりかけだしてきて、私にすがりつき、赤ん坊にすがりつきました。
「まあ、よかった。ここにいたのね……無事でいたのね……よかったわねえ……お母さんは、あなたがとんびにさらわれたと思って……さらわれたんだったら、どうしよう……まあ、よかったわね……」
 むちゅうになって、赤ん坊をだきしめて、さめざめと泣いてるんです。
 私はこまって、ぼんやり立っていました。
 村人たちがあつまってきました。
「赤ん坊がさらわれたのではなくて、よかったよ。だが、あれは何だろう」
 とんびはなにか赤いものを両足にひきつかんで、その両足をちぢめて腹にくっつけ、大きく羽をひろげて、羽ばたきひとつせず、ふうわりと宙にうかび、さもうれしそうになきながら、舞いとんでいます。日の光をいっぱいふくんだ青い空のまんなかに、その姿がつややかに光っています。
 村人たちは赤ん坊のいる家の名をあげたりして、心配そうにながめていました。
「あ、そうだ」
 柿《かき》のことがはっと頭にうかんで、私はかけだそうとしました。その私の肩を、誰かがとらえてゆすぶりました……。
 正夫が私をゆすぶってるのでした。
「本をよんで下さらないから、僕うとうとしちゃったんです。すると、柿《かき》がなくなってるんです」
 私もはっきり目をひらいて、見ると、梢《こずえ》の柿がいつのまにかなくなっていました。
 私たちは、柿の木の下にかけていきました。けれど、いくら探しても、あのまっかな柿はその辺におちてはいませんでした。わずかな間に、小鳥がたべてしまったはずもありません。
 とんびは……やはり一羽、空高く舞っていましたが、足には何にもつかんではいませんでした。ただいかにもうれしそうに、ピーヒョロヒョロと、ゆったり舞っていました。

      四 山の小僧《こぞう》

 山のなかは、冬になると、天気がわるいことが多く、そして雪がふりだすと、なかなかやまず、十四五センチもすぐにつもってしまいます。
 そういう時、私は西洋室の方にうつって、だんろに薪《まき》をどしどしたきます。正夫も私のところで、夜おそくまで話しこんでゆくことがありました。
 正夫は星の話をきくのがすきでした。私は知ってるだけのことを話してやりました。太陽系のこと、ことに金星のこと、それから水星や火星や木星や土星のこと、大熊星座《おおくませいざ》のなかの北斗七星《ほくとしちせい》のこと、小熊星座のなかの北極星のこと、次には、アンドロメーダ星座、ペルセウス星座、牽牛星《けんぎゅうせい》と織女星《しょくじょせい》、銀河《ぎんが》のこと、彗星《すいせい》のこと、そのほかいろいろのことを話しました。そして私がびっくりしたのは、正夫が空の星の図を、名前はわからないでもよく知ってることでした。
「さびしい時には星をみるがよいと、何かで読んだことがありました。それで僕はよく星をみてるんです」
 正夫はそういって、でもさびしそうにほほえみました。父も母も小さい時になくなって、正夫は一人者なので、小父《おじ》さん夫婦のところにひきとられてるのです。
「星をみてると、ほんとにいいんです。だれか親しいやさしい人が、こちらをじっと見ていてくれるような気がしますよ」
 それから正夫は、またさびしくほほえみました。
「冬になると、星の見えることが少ないからつまらないんです。それに、こんなに雪のふる晩は、急にさびしくなることがあります。だれか今にも来そうなんです。僕がよく知ってる人だが、どんな人だかはわからない、そういうへんな人が、やって来るような気がしますよ」
 私はだんろに薪《まき》をくべて、さかんにもやしました。あまりあつくなると、らんまの小窓を少しあけました。外には雪がふりしきっていました。
「でも、そんなへんな人でなく、おもしろいものが、ほんとにやって来ることもありますよ」
「どんなものが……」と私はたずねました。
「いろんなものです。鳥や獣《けだもの》や、それから……。あんな小窓をあけておくと、火にあたりにくるんでしょうね、狐《きつね》や狸《たぬき》がとびこんでくることもありますよ」
 私はらんまの小窓を見あげました。正夫は話しつづけました。
「それよりも、面白いのは鳥ですよ。いつだったか、部屋いっぱい鳥だらけになったことがあります。雀《すずめ》がとびこんできました。頬白《ほおじろ》がとびこんできました。つぐみがとびこんできました。山鳩《やまばと》がとびこんできました。烏《からす》がとびこんできました。そのほかいろいろな鳥が、次から次にとびこんできて、部屋いっぱいにならびました。ふしぎなことには、どれもみなだまってるんです。目ばかりぱちぱちうごかして、なき声は少しもたてないんです。そしておかしいのは、鷺《さぎ》ですよ みんなと[#「鷺《さぎ》ですよ みんなと」はマ
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