はいつもにやにや笑っていた。ところが、或る時彼は言った――そのように政治を偏狭に考えてはいかんよ。
彼の政治論は彼の人生論と裏合せだった。政治嫌いを公言してる私が、特殊な自治とか特殊なアナーキズムとかを夢想してることは、彼から見れば可笑しかったであろう。然し彼はいつもおおらかな笑顔で私の偏狭な政治嫌いを受け容れてくれた。
物にこだわらないおおらかな笑顔を、私はいつも彼のうちに見出した。
私はいろいろの人と碁をうったが、三木ほど敵愾心の起らない相手は珍らしかった。彼を相手にしていると、勝負などはどうでもよくなるのである。彼の棋力そのものも甚だ他愛ないもので、日によって甚しく差異があり、またその棋理も茫漠としていた。戦争中、軍報道部からの徴用でフィリッピンに行き、帰って来てからは、暫く碁に遠ざかっていた逆作用でか、いくらか着実となり、更に鷺宮へ疎開した後の高円寺の留守宅を預ってる野上彰君から、多少棋理の説明を聞き、いくらか腕前が上ったようだが、それもすべて、いくらかの程度に過ぎなかった。ひどく早うちで、悦に入ると盤上に涎を垂らすこともあった。
三木が二度目の夫人を亡くした後、その
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