した。その様子を、阮東は冷酷な眼付で眺めて、いいました。
「予がこの拳銃で処置してやるが、覚悟はよいか。」
五名のうちの一人が答えました。
「はい、覚悟をしております。私共が民兵団全部の責任を負い、その責任を私共の血で贖います。ついては、一つのお願いがあります。范司令殿の貴い血は、敵兵全部の血を以て償って頂きたいと思います。」
その言葉を聞いて、阮東は暫くじっと考えこんでいましたが、急に熱い血を顔に漲らして、立上って叫びました。
「よろしい、その願いは叶えてやる。そして君たちのことは、明日まで待っておれ。」
阮東はそういいすてて、自分の室へはいってゆきました。
その夕方、意外な通達が人々を驚かせました。范志清未亡人中敏は、これから阮東夫人になるというのでした。而もその晩、葬儀に引続いたその晩に、結婚の宴が催されました。
なにか名状し難い宴席でありました。そこに集った数十名の人々は、静かに飲食をしました。阮東の一身から或る強烈なものが発散して、一同はそれに気圧されてるようでありました。けれど彼は、見たところ無心そうに、范志清の一子を胸に抱いて、その子をあやして楽しんでるらしい様子でした。中敏がしとやかに傍に侍って、時々子供を抱き取りました。
そして最後の乾杯をする時、阮東は恐ろしい声で叫びました。
「わが悲しみと憤りとのために。」
それはもはや悲しみや憤りを超えた沈痛なもので、一同はぞっと水を浴びたような気がしました。
その次の日から、阮東の行動は勇猛果敢を極めました。あの五名の若者が、常に彼の身辺に附添っていました。彼は村々を次第に自分の支配下に編入し、民兵団の兵員を増加し、武器弾薬を何処からか夥しく輸送してきて蓄え、遠方へまで匪賊討伐に出かけました。
「恐ろしいことだ。何かがのりうつったのかも知れない。」と人々は蔭で囁きあいました。
それから急に阮東の名は、英傑として遠近に響き渡るようになりました。その地方一帯は、彼の領地に等しい状態となりました。
これから先のことは、ただ英傑阮東という名だけで、詳しいことは分りません。彼の姿も、多数の手兵の蔭にひそんで、見た者も少いとのことであります。ただ、中敏を中心とした婦人たちの医療斑に、土地の人々は大いに救われたそうであります。
其の後、阮東はどうなったか、はっきり分りません。戦死したという説もあり、行方不明になったという説もあり、外国に渡ったという説もあり、多くの伝説と同様、曖昧に終っていますのは、甚だ遺憾なことであります。
底本:「豊島与志雄著作集 第四巻(小説4[#「4」はローマ数字、1−13−24])」未来社
1965(昭和40)年6月25日第1刷発行
初出:「知性」
1940(昭和15)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月13日作成
2008年1月15日修正
青空文庫作成ファイル:
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