の前まで来ると、一人がぴたりと馬を止めて、声をかけました。
「お前は、張達ではないか。」
 張達はとびあがらんばかりに驚いた様子で、それからもう頭をさげて、はいはい……とお辞儀ばかりしています。
 若者は馬からおりて、張達の肩を叩いていました。
「何をしてるのだ、張達、僕が分らないのか。」
「はあ、あなた様は……。」
 張達は上眼使いに、若者の顔を見ていましたが、ふいに、わっと大きな声を立てて、両手を差出しました。
「おう、阮の若者でいらっしゃいましたか。私はまた、匪賊……なにかと思って、びっくり致しました。若様で、……よくまあ無事に帰っておいでになりました。」
「ああ、御無沙汰をした。御両親とも達者かね。」
「はい、それはもう……。」
 張達は涙の眼をしばたたいて、袖で鼻を拭きました。
「お前に逢って丁度よかった。」と阮東はいいました。
「邸まで案内してくれないか。そしてお前から、御無沙汰のお詫びを御両親にしてくれないかね。いきなり馬を乗りつけるのも、ちょっと気が咎めるからね。あの男は、僕の伴をしてくれた友人で仔細ないのだ。」
 阮東は、友の范志清を呼んで、張達に紹介し、それから、家郷のことをいろいろ尋ねました。
 張達のいうところに依りますと、四年前、阮東が失踪したことは、周家から阮家へも知らせがありました。何か阮東に不始末なことがあって、周大人がこらしめのためにひどく叱りつけ、あとで詫びに来たら懇々と説諭してやるつもりでいたところ、阮東はそのまま失踪してしまったとの由で、阮家の人たちは歎き悲しみ、朝に夕に、消息を待ちあぐみ、はては人を遣って探らせたが、其の後のことは更に手掛りもなく、悲しい遺品だけが周家から届いたに過ぎませんでした。それから一年たち、二年たち、三年たつうちに、阮大人は阮東のことを口にするのを禁じてしまいました。けれど、口にしないだけに、想いは胸に深まっていったようで、めっきり老けてきました。それだけのことで、阮一家には、他に何の変りもありませんでした。ただ、近頃、その辺にも匪賊が侵入してきて、三ヶ月ほど前、数千金を奪ってゆかれた上、また、多額の金を、明晩までに要求されてるとのことでありました。そして阮大人は、何と思ってか、今晩、一家中で盛宴を催すとかで、そのために、張達は漁夫たちを指図して、湖水の美魚を捕えているのでありました。
「よいところへ
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