して次第にはっきりと室の中の有様が彼の眼に映ってきた。
 葡萄酒の壜とグラス盆とが其処に投げ出されていた。だくだくと壜からこぼれた葡萄酒は赤い血のように静に畳の上を滑って流れていた。富子はその前に蒼白な顔をして、それでもじっと坐ったまま室の片隅を見つめている。その上に充血した眼を据えて石のように堅く恒雄はつっ立っている。彼等の間には今にも張り切れそうな緊張した沈黙と反撥とがあった。そして何かがじりじりと圧《お》し潰すように迫ってくるがようであった。
「どうしたんです!」と孝太郎は叫んだ。
 その声は急に何かを煽るように響いた。恒雄は肩のあたりをぴくと震わした。孝太郎は自ら自分の声に懼然とした。そして殆んど本能的にこう云った。
「外に出ましょう。」
 恒雄は二三度頭を強く横に振った。それからしかとした調子で孝太郎に応じた。
「外に出ましょう。」
 二人はそのまま表に出た。その際孝太郎はふとふり返って富子の顔を見た。彼女はその堅く引きしめた顔の眉一つ動かさなかった。そして何かを挑むような高慢な眼が、動物的な冷たい光りに輝いていた。
 外に出ると彼等の緊張し興奮した精神はそのままに堅く凝結し
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