することなんかない。何もすることがなくても、退屈しないし、何もしないでいても、退屈しないし、どんなに忙しくても、退屈しない。恵れた性格さ。ね、そうだろう、正夫君。
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正夫君と呼びかけて、時彦は初めて差し伸べた右手を下し、両手の甲を腰に当てがい、真直に突っ立ったまま口を利く。
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 時彦――いつだったか、面白いことがあったね。君は宿酔の体を日向に投げ出して、絵本を見ていた。開かれてる頁は、兎と亀の馳けっこの話の、兎が途中で昼寝をしてる、あのところだった。いつまでも君がそれを眺めてるし、しかも嬉しそうに眺めてるので、俺は不思議に思って、何をそんなに感心しているのかと、尋ねてみた。すると、この兎の昼寝は実にいいと、君は答えたね。あの昔話を、君が知らない筈はない。そしてそれに含まれてる教訓を、知らない筈はない。俺はその点を突っ込んでみた。ところが君は、そのような教訓など、頭からばかにしてかかっていて、ただ、競争の最中に昼寝した兎の無頓着さ、時間を無視した兎の無邪気さだけを、しきりに楽しんでいた。そこで、俺とちょっと議論になって、兎ならそれでも宜しいが、人生ではそうはいかないぞと、言ってやると、君が何と答えたか覚えているか。兎にしても人生にしても同じことで、自信のある者は何事にもこせこせしないのだと、君は答えた。俺に言わせれば、そういう自信は、懶け者の自信に過ぎない。
 ――まったく、君は懶け者で、そして自信家だ。両方がうまく合体して、時間を無視することになる。その結果、如何なる場合にも決して退屈することなんかない。分ったかね。
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正夫は顔を挙げて、不思議そうに時彦を眺める。それからまた、卓上に頬杖をついて、顔を伏せる。
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 正夫――君は誰のことを言ってるんだい。
 時彦――これは驚いたね。君のことを言ってるんじゃないか。
 正夫――少しは当ってるところもあるようだが、実は、だいぶ見当違いだ。
 時彦――また議論をするつもりか。そんなら言ってやろうか。君のずぼらな行動は、すべて、時間を無視するところから起るんだ。退屈はしない代りに、顔を上に挙げ、眼を上に挙げて、真直に歩くことが出来ないんだ。それが分っていながら、わざと白ばくれてるな。そんなのは、卑怯というものだ。そら、また一つ肩書が殖え
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