いい、もう黙ってはおられないところまで来ている。つまり、吾々の方では政治問題に触れまいとしても、政治の方から吾々の身辺に迫って来ているんだ。そういう議論が一同の間に出た。そこで、その原因は何かということになった。一口に言えば、険悪な国際情勢から来る圧力、その圧力を受けてる国家権力の歪曲、その歪曲から生れるさまざまな弾圧的立法……これはもう立派なファシズムだ。徒らに左翼と右翼との抗争のみが激化し、基本人権は侵害され、自由と平和は脅威を受ける。このまま放置しておいてよいかどうか。歪曲された国家権力に対して、何等かの抗議を提出すべきではないか。だいたいそういう結論だったが、当面の実際運動については、次の会合で話し合うことになった。
――これだけ言えば、正夫君、君の胸に応えるものがある筈だ。以前、君がしばしば提出していた意見と全く同じだからね。其後どうしたことか、君は殆んど会合に出て来なくなったし、たまに出て来ても、殆んど口を利かなくなった。だから、今日の会合で、会議のあとの雑談の折に、僕たちが君のことを思い出したとしても、不思議ではあるまい。誰からともなく、君の噂が出た。君がやってるあのちっぽけな旬刊新聞、「黎明」の話も出た。あれはたしか、少数の読者を相手にした文化啓蒙のパンフレットの筈だが、それが近来、頗る政治色を帯びて来た、という説もあった。どこからか秘密な資金が出てるのだろう、という説もあった。評判は香ばしくなかった。そこで、正夫君、僕は、いや僕たちは、君にはっきり聞きたいんだ。君が金銭のために身を売ったかどうか、それが聞きたいんだ。まあそこまで言わなくても、少くとも、文化会議に君が背を向けてることは事実らしい。そこで、こちらに背を向けることは、あちらに顔を向けることだ。人間は、両方に二つ顔を持ってはいないからね。いったい、君の顔は何に向いてるんだ。
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正夫はふと顔を挙げる。眉根をしかめて、かすかな苦笑を浮べている。彫りの深い容貌なので、その苦笑が不敵だとも言える印象を与える。彼はちらと議一の方を見やっただけで、また顔を伏せ、卓上に肱をついた両手の拳で頬を支え、眼は卓上に落したまま、口を利く。
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正夫――僕の顔は地面の方を向いてる。僕の眼は足元の方を向いてる。もう暫く、僕はそうしていたいんだ。
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