て、顔立ちがすっきりと澄んでいた。その鮨屋には女客も多かったが、ちょっと身元の不明な彼女は目立った。お上さんと映画の話を、亭主と競馬の話を、手短かにしてることもあった。それよりも、おれの眼を惹いたのは、彼女の鮨皿のそばの土瓶だった。土瓶から茶碗についだのを飲む彼女の口付きでは、お茶とは違っていた。或る時、おれは彼女の前で、ウイスキーのポケット瓶を取り出して飲んだ。それが囮だ。彼女は眼で笑い、お上さんに頼んで、おれにも土瓶の酒を出してくれるようになった。学校の近くの喫茶店でのおれよりは、遙かに愛相がいい。もっとも、彼女自身の腹がいたむわけではなかった。
 其後、銀座裏のカフェーでおれは彼女に逢った。この家は、昼間はコーヒー専門で、夜になるとバーに早変りする。その昼間だけの女給を彼女は気儘にやってるのである。それと分っていたら、鮨屋で囮の瓶など使う必要はなかったのだ。
「あたし、あすこのお鮨屋にはすっかり御無沙汰しちゃった。」
「どうして?」
 それには答えず、おれの方をじっと見た。
「あなたは?」
「僕も行かない。今日久しぶりだ。」
 顔見合せて、しぜんに、二人とも頬笑んだ。おれは彼女に
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