その上なお、別個な屈辱までが加わってきたのだ。
「あの晩、君たちは、肉体の関係はまだなかったようだね。」
 なにかにやりとした笑いをこめた訊問を、私は受けたのである。つまり、肉体の交りを私が強く意慾していたという風に、推測されたものらしい。
 事件の全貌は、結局、意に従わぬ彼女を私が計画的に毒殺したか、或は、合意情死の中途で私だけが卑怯にも逃げたか、そのどちらかと見られているらしい。
 それを打ち消す確証は、どこにもないのだ。私はただ一方的に、真実を語るだけのことである。而も私に、どれだけの真実が分っているのか。
 弓子は多分、チーズを切ってから、一口飲みたいと思い、その時、私のコップがないのに気づき、それを食卓の下に見出し、ウイスキーがはいってるのを幸に、何の気もなく、それをぐっと飲んだのであろう。――これが最も妥当な解釈だ。彼女を毒死の罠にかけようという意向が聊かでも私にあったろうとは、私自身が承認しないことである。また、コップの中のが毒酒であると彼女が知っていたろうとは、前後の事情から推察し難いことである。
 それにも拘らず、妥当な解釈だけでは割り切れないものが、私の気持ちの底に
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