らせることもあるが、真の勤勉努力というものが私には足りない。机に向って沈思黙考することなど殆んどない。気乗りがしなければ、ぶらりと外に出かけて酒を飲む。そのアルコールが発散してしまわない限り、仕事は出来ない。ばかりでなく、世の中には、見たいもの聞きたいものが余りに多すぎる。つまり、遊惰な誘惑が多すぎるし、それに対する抵抗力が私に少なすぎるのだ。勿論、これでよいとは私は思っていないし、困ったものだと感じている。
だが、もっと打ち明けたところを言えば、仕事の実践よりも、それ以前の瞑想の方が遙かに楽しいのである。原稿紙に向っての文字による造形には、一つの決定的なものが要請されるが、その一歩手前の瞑想には、無限の可能性が含まれる。この可能性の中を、私は自由に逍遙したいのである。仕事に怠惰であっても、瞑想に勤勉だと、自惚れている始末だ。
このことは、随って、私の作品を、殊に小説を、方法論的に性格づける。現実の形象を観察し描写することは、私にとっては甚だ窮屈なのである。現実の形象を打ち壊したり組み立てたりすることが、私には楽しいのである。固より、個々の素材は現実から得て来たものではあるが、それ
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