ニをも一度、高い声でくりかえしたかった。しかし息が切れて、ただ手荒く彼の腕をひっぱりながら、痙攣《けいれん》的な力をこめて、「いけません!」と叫ぶことができただけだった。
検事長は弁護士の説を反駁《はんばく》した。私はぼんやりした満足の念でそれに耳を傾けた。それから判事らは室外に出て、つぎにまた戻ってきた。そして裁判長は私に判決を読んできかした。
「死刑!」と群集は言った。そして私が連れ去られる時、皆の者は家が崩れるような音を立てて後にくっついてきた。私は酔ったように呆然として歩いていった。一つの革命が私のうちに起こったのだった。死刑の判決までは、私は呼吸し脈打ってる自分を感じ、他の人々と同じ世界に生きてるのを感じていた。が今や私は、世間と自分との間に、ある仕切りみたいなものをはっきり感じた。もう何一つ以前と同じ姿には見えなかった。それらの大きな明るい窓、そのうるわしい日の光、その清らかな空、そのかわいい花、どれもこれもただ白く色あせて、経帷子《きょうかたびら》の色になった。私のほうに集まってくるそれらの男や女や子供も、幻影のように見えた。
階段の下に、格子《こうし》のはまった黒い汚い馬車が私を待っていた。それに乗る時、私はどこということもなく広場の中を眺めた。死刑囚と叫びながら通行人らは馬車のほうへ駆けてきた。私は自分と他物との間におりてきたように思われる靄《もや》をとおして、むさぼるような目つきであとについてくる二人の若い娘を見てとった。その年下のほうは手をたたきながら言った。
「いいわね、六週間後でしょう!」
三
死刑囚!
ところで、それがどうしていけないか。私は何かの書物の中で読んだのであるが、ためになることはただそれだけだったのを覚えている。すなわち、人はみな不定期の猶予つきで死刑に処せられている[#「人はみな不定期の猶予つきで死刑に処せられている」に傍点]。それではいったい私の地位に何がこんな変化をもたらしたのか。
私に判決がくだされた時から今までに、長い生涯を当てにしていたいくばくの人が死んだことか。若くて自由で健康であって、某日グレーヴの広場で私の首が落ちるのを見に行くつもりでいた者で、いくばくの人が私より先立ったことか。今からその日までの間に、戸外を歩き大気を吸い自由に外出し帰宅している者で、なおいくばくの人が私に先立つことだろうか。
それにまた、人生は私にとってなんでこんなに名残り惜しいのか。実際のところ、監獄の薄暗い日と黒いパン、囚人用のバケツから汲み取られた薄いスープの分け前、教育を受けて啓発されてる身でありながら、手荒く取り扱われ、看守や監視らから虐待され、ひとこと言葉をかわすにたりる者と思ってくれる一人の人もなく、自分のしたことに絶えずおののき、人からどうされるだろうかということに絶えずおののいている、ただほとんどそれだけのことが、死刑執行人が私から奪いうるものではないか。
ああ、それでもやはり、恐ろしいことだ!
四
黒い馬車は私をここに、この呪わしいビセートルに運んだ。
ある距離をへだてて遠くから見ると、この建物はあるおごそかさをもっている。丘の上に地平線上にひろがっていて、昔の光輝の多少を、王城の様子を、なお失わずにいる。しかし近寄ってゆくにしたがって、その宮殿は破家《やぶれや》となってくる。破損してるその切妻は見るにたえない。なんともいえぬ賤《いや》しいみすぼらしい風《ふう》が、その堂々たる正面をけがしている。壁はらい病に冒されたようである。もうガラス戸もなければ、ガラス窓もない。交差してる太い鉄格子がついていて、それのあちらこちらに、囚人や狂人のやつれた顔がくっついてる。
それはまぢかに眺めた人生だ。
五
到着するかしないうちに、鉄の手が私をつかみ取った。人々は注意に注意を重ねた。私の食事にはナイフもフォークもなかった。緊束衣《きんそくい》が、一種の帆布の袋が、私の両腕を捉《とら》えた。人々は私の生命について責めを帯びてるのだった。私の事件は上告してあった。そのやっかいな事柄がまだ六、七週間はかかるはずだったし、またグレーヴの広場のために私を無事に保存しておくことが大切だった。
初めの数日間私はやさしく取り扱われた。それがかえって私には恐ろしく思えた。看守の敬意は死刑台を思わせるものだ。が、しあわせにも数日たつと、また習慣どおりになった。彼らは私を他の囚人らと一緒に暴虐に取り扱い、私の目に絶えず死刑執行人を映らせるような、不|馴《な》れなていねいな区別をもうしなかった。よくなったのはそのことばかりではなかった。私の若さ、私の従順さ、監獄|教誨師《きょうかいし》の世話、それからことに、わかりもしない門衛に私が言ってやったラテン語の数語、そんなもののために私は、他の囚人らとともに一週一回散歩することが許され、身動きのできなかった緊束衣もつけずにすんだ。いろいろ躊躇《ちゅうちょ》されたのちに、インキと紙とペンも与えられ、夜のランプも与えられた。
毎日曜日には、ミサの式の後で、休息の時間に、私は中庭に放たれる。そこで私は囚人らと話をする。話をせずにはいられないものだ。彼らは、そのみじめな者たちは、みな善良である。彼らはその仕事[#「仕事」に傍点]を私に話してきかせる。聞いてると恐ろしいほどであるが、しかし彼らが自慢誇張してることを私は知っている。彼らは私に隠語を話すことを、彼らの言葉でいえば赤舌をたたく[#「赤舌をたたく」に傍点]ことを教えてくれる。それは一般の言葉の上につぎ合わした一つの言葉であって、見苦しい瘤《こぶ》のようなものであり、疣《いぼ》のようなものである。時とするとふしぎな力をそなえ、恐ろしい光景を見せる。リボンの上にジャムがある[#「リボンの上にジャムがある」に傍点]――道の上に血がある。後家をめとる[#「後家をめとる」に傍点]――絞首される。あたかも首吊り台の縄はすべての被絞首者の寡婦《かふ》であるかのようだ。盗人の頭は二つの名前をもっている。考えたり理屈をこねたり罪悪をすすめたりする時には、ソルボンヌ大学[#「ソルボンヌ大学」に傍点]と言い、死刑執行人に切られる時には、切株[#「切株」に傍点]となる。また時とすると、通俗喜劇めいた才気を示すこともある。柳の肩掛け[#「柳の肩掛け」に傍点]――屑屋の負籠《おいかご》。嘘つき[#「嘘つき」に傍点]――舌。またいたるところに絶えず由来のわからない奇態なふしぎな醜い下品な言葉が出てくる、かなとこ[#「かなとこ」に傍点]――死刑執行人。松ぼっくり[#「松ぼっくり」に傍点]――死。押入れ[#「押入れ」に傍点]――死刑場。まるで蟇《がま》や蜘蛛《くも》の言葉のようだ。その言葉が話されるのを聞く時には、何か汚ならしい埃まみれのもののような気がし、ひとたばのぼろ布を顔の前で打ち振られるような気がする。
少なくともその男たちは私を憐れんでくれる。その男たちだけだ。獄吏や看守や鍵番らは――私はそれを怨《うら》むのではないが――話し合ったり笑ったりしていて、私の前ででも私のことを一個の物のように話している。
六
私は自ら言った――
自分は物を書くことができるからには、どうして書かずにおこう。しかし何を書いたらよいか。裸の冷たい石壁に四方とざされ、自由に歩くこともできず、地平線を見ることもできず、ただ一つの気晴らしとしては、扉ののぞき穴から真向いの薄暗い壁の上に投げられるほの白い四角な明るみが、徐々に移ってゆくのを一日じゅう機械的に見守ることだけであり、しかも前に述べたとおり、一つの観念、罪と罰との観念、殺害と死刑との観念と、二人きりでいて、私は、もうこの世になにもなすことのない私は、いったい何か言うべきことをもっているだろうかしら。罰を受けた空虚なこの頭脳の中に、書くだけの価値のある何かが見出せるだろうかしら。
いやどうしてそうでないといえよう。たとい私の周囲ではすべてが単調で色あせてるとはいえ、私のうちには一つの暴風雨が、一つの争闘が、一つの悲劇があるではないか。私につきまとってるこの固定観念は、各時間に、各瞬間に、新たな形で、期限が迫るにつれてますます忌《いま》わしい血まみれの形で、私に現われてくるではないか。かく世間から見放された地位にあって私が感ずるあらゆる激越な未知なものを、どうして自分自身に向かって言わずにすまされよう。確かに材料は豊富である。そしてたとい私の生涯はいかに短かろうと、今から最後の時までそれを満たすはずの、苦悶や恐怖や責め苦のうちにはなお、このペンをすりへらし、このインキ壺を涸《か》らすだけのものがあるだろう。――そのうえ、それらの苦悶を和らげる唯一の方法はそれを観察することであるし、それを描きだすことによって私の気もまぎらさるるだろう。
それにまた、こうして私が書きつける事柄はおそらく無用にはなるまい。この苦しみの日記、書き続けることが肉体的[#「肉体的」に傍点]にできなくなるまぎわまで継続する力が私にあったら、各時間の、各瞬間の、各苦悩のこの日記、必ず未完成に終わるだろうが、しかし私の情緒のできるだけ完全なこの物語、それが一つの大きな深い示教をもたらさないだろうか。死にのぞんでる思考のこの調書のうちには、常に高まってゆくこの苦悩の増進のうちには、一受刑人のこの一種の精神的解剖のうちには、処刑する人々に対する一つならずの教訓がないだろうか。おそらく彼らがこれを読んだならば、他日、思考する一つの頭を、一個の人間の頭を、正義のはかりとよばるるものの中に投ずる場合に、彼らの手はより重くなるだろう。おそらく彼らは不幸にも、死刑判決の早急なしかたのうちに責め苦のゆるやかな連続が含まれてることを、かつて考えたことがなかったろう。彼らが除き去るその男のうちには、一つの精神がある、生命に望みをかける一つの精神があり、死を予期していない一つの魂がある、というこの痛切な観念に、彼らはただ目をすえたことでもあるだろうか。いや。彼らはただ三角な肉切り庖丁の垂直な落下をその中に見てとるだけであって、受刑人にとってはその前にも後にも何物もないと思ってるにちがいない。
これらの数ページはそういう彼らの謬見《びゅうけん》を醒ますだろう。おそらくいつかは世に出版されて、人の精神の苦悶のほうへ彼らの精神をしばし向けさせるだろう。人の精神の苦悶こそ彼らがすこしも思い浮かべないことである。彼らはほとんど肉体を苦しめずに人を殺すことができるというのを得意にしている。が、まさしくそれが問題なのだ。精神的苦痛に比べては肉体的苦痛がなんであろう。今のようにしてできてる法律こそ、恐るべきまた憐れむべきものである。やがていつかは、そしておそらく、一人のみじめな男の最後の告白たるこの手記もその一助となって……。
せめて、私の死後、これらの紙片が泥にまみれて監獄の中庭で風になぶらるることさえなければ、あるいは、看守のガラス戸の破れめに点々と貼られて雨に朽《く》ちることさえなければ……。
七
私がここに書いてるものが他日他の人々の役に立たんこと、判決しようとする判事を引き止めんこと、無罪にしろ有罪にしろすべて不幸な人々を私が受けたこの苦悩から救わんこと、そう願うのはなぜか、何のためになるか、何の関係があるか。私の首が切れてしまった後で他の人々の首が切られることが私に何のかかわりがあるか。右のようなばかげたことを私は本当に考えうるのか。自分がそれにのぼった後で死刑台を打ち倒す! それがいったい私に何をもたらしてくれるものか。
そうだ、太陽、春、花の咲き満ちた野、早朝目覚むる小鳥、雲、樹木、自然、自由、生命、すべてそれらはもう私のものではない。
ああ、私自身をこそ救わなければならないのだ。――それができないというのは、明日にもあるいはおそらく今日にも死ななければならないというのは、そうしたものだというのは、まさしく本当なのか。おお、それ
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