て、清子の遺骨は、水戸近在の農村から出て来ていた実兄に抱かれて、郷里に帰った。
それから二週間ほど後のこと、三上家の奥まった室で、言い換えれば三上夫人の居間で、来客の松永夫人と三上夫人とが、人を避けてしんみりと語り合った。二人は多年に亘る親友で、女同志の間ではめったに見られないほど打ち解けて、何の隠し隔てもなく、互に信頼しきってる仲だった。
二人は炬燵にはいって向い合っていた。側の卓上には、菓子や果物、緑茶と紅茶、ウイスキーとビールなど、取り散らされていた。この最後の二品は、二人の友情とその日の談話の性質を示すものだった。
「この節の娘たちの気持ちは、わたくしどもには見当がつかなくなりましたわ」
松永夫人はそう言って溜息をついた。彼女の娘で、女子大学に通っているのが、或る新劇団に関係していたが、この三月限り退学して、正式に舞台に立つことにしたと、言い出したのである。映画女優よりはまだましかも知れないけれど、それにしても、学校を中途退学してまでもと、松永夫人は呆れたが、娘は頑として自分の意志を通そうとしてるのだった。
「でも、お嬢さまの考えかたは、自由で明るくて、御心配なさるほどのこともございますまい。」
三上夫人はそう言って、なにかほかのことに思いを走せてる様子だった。
その時、松永夫人は、亡くなった田代清子のことを持ち出したのである。田代清子、三上家での呼名の清さんを、松永夫人は度々の来訪によってよく知っていた。いい女中さんねと、いつも言っていた。彼女は声をひそめた。
「あのひと、ほんとうにどうしたんでしょうねえ。」
「それが、わたくしにも今もって、よく腑におちないんですの。」
何気ない言葉のやりとりから、遂に三上夫人は、一切のことを打ち明けてしまった。
以下は、三上夫人の話である。もとより、松永夫人との対話であって、こういう親しい夫人同志の対話は、ずいぶん機微にふれる露骨なこともあるが、また、肝腎な点を素通りしてしまうこともある。その対話を、三上夫人の話、というよりは寧ろ告白という形に、まとめてみたのである。
ああいうことになって、ほんとに惜しいことを致しました。いいえ、わたくしどもにとってではございません。あのひと自身のことを申すのです。
御存じの通りの娘で、顔立も可愛く、こぎれいで、いつもにこにこして、よく働いてくれますので、わたくしもずいぶん目をかけてやっておりました。家庭で働くというよりは、たとえて申せば、会社の女事務員とか、デパートの売子とか、そういう方面へも向くような人柄でした。或る時、ふと、そのことに触れてみますと、
「そのようなこと、きらいでございます。」
一言、きっぱりと答えました。
ふだんは無口な代りに、思ったことははきはき言う方でした。言葉遣いも、田舎から出て来た当座は、だいぶ訛りがありましたが、たいへん早く標準語に直ってしまいました。電話の受け応えも、自然に覚えてしまいました。まあ、頭がよろしいとでも申しましょうか。
でも、よく注意してみますと、いつもにこにこしておりますが、どことなく陰気らしいところ、なにか暗い影を背負っているようなところが、ありました。会社勤めなどは嫌いだというのは、本当のことだったのでしょう。手紙は時々参りましたが、往き来する友だちもなかったようでしたし、映画を見に行くこともめったにありませんでした。
母親は幼い時に亡くなり、父親の手で育てられたのですが、あの子の言葉のはしばしから察しますと、頑固な一徹な気性の父親だったらしく思われます。兄は、事件当時こちらへ出て来ましたので、わたくしは直接逢いましたが、律気なむっつりした男でした。いったい、あの子は自分の身の上のことを、あまり口にしたがりませんでした。
あとで、も一人の女中、近《ちか》さんに、聞いたことですが、あの子は郷里にいる頃、女学校を卒業する前後のことでしょうか、ひそかに愛してる男があったようです。同じ村の、昔は大きな地主だった格式の高い家の息子で、東京の或る専門学校に通ってる学生でした。休暇の折りには、いろいろな物を買ってきてくれたそうです。二人の仲がどれほどのものだったかは分りませんが、まあ、初々しい牧歌的なものだったのでしょう。ところが、その学生が、東北地方の山に雪中登山をして、遭難して死にました。何という山だか、近さんは聞きもらしていましたが、この話ぜんたいも、近さんの想像が相当にはいっているらしく、確実なことは分りかねます。けれども、このことが、あの子の心に深い極印《こくいん》をおしていたに違いないと、いろいろな点で考えられます。
わたくしはあの事件後、ひそかに、あの子の室を仔細に調べてみました。警察の方でさんざん掻き廻した後のことでもあり、もとより、何の手がかりも得られません
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