とは、調子が合うのかも知れないが、それがどちらからも一図に心を寄せ合うと、これはどうにもいけないと私にも危ぶまれるのだった。彼は雀の話を彼女にもしてきかせた。彼女は何か心を打たれたようで、暫く考えこんでしまった。
四五日か一週間旅をしよう、と彼は如何にも呑気そうに云っていた。大丈夫ですかと彼女は尋ね、大丈夫だと彼は答える。お金のことらしい。そうしてもう相談がきまってしまった。これはめちゃだと私は思うのだった。そんな場合じゃあるまい。然し……漠然とした危懼が私を囚えていった。その危懼を打消すことで私は憂欝になった。
そこを出て、池のまわりを散歩するという二人に別れて、一人になると、私はなぜか首垂れて考えこんで歩いていた。あの二人を幸福にしてやりたい、勝手なことをしてる彼等ではあるけれど、真面目な仕事と生活とをなし得る彼等だ……そんなことを私は思い、漠然とした反撥心を世の中に対して懐いていた。社会の制度が重すぎるのではないか。
その夜遅く、彼が姿を現わした時、私はひどく悲しい気持になっていた。それは別離の悲しみに似ていた。
――旅に行くのか。
――行こうと思っている。
――死ぬのではあるまいね。
――安心し給え。僕には死ぬというような意志や決心は持てないのだ。然し、自然の死は致し方がない。
――反撥しようという気はないのか。
――何に対してだ。僕は自然を尊ぶ。反撥によって自然を歪めたくはない。
――自然に逃げこむのは卑怯だろう。
――或はそうかも知れない。人生は人為だからね。然し、いろいろなことに面倒くさくなると、純粋な自然というものが考えられてくる。
――それは意志の喪失だ。
――僕にとって大切なのは、意力より感性だ。
――禽獣になれ。
――よりも、赤ん坊になりたい。
そこで彼は、非常に微妙な笑みを浮べた。私はそれに見覚えがあった。一時間も二時間も寝そべって、空の雲を見てる時、庭の蟻を見てる時、遠い昔の夢をでも思い出したらしい時、彼が無心にもらす微笑だった。また、ふくらんだ紙入を懐にした時の微笑だった。そんな時彼は、実用的なものよりも、不用なものを多く買った。或る時彼は、高さ一丈余の大きな自然石――見様によっては狸が立ったようにも見える得体の知れぬ石を、しきりに買いたがったことがある。何にするのかときくと、やはりこの微笑をもらした。私はそれに対して、ともすると苛立たしい気持になるのだ。
今も私は、或る苛立たしさを以て、彼の顔をじっと眺めた。彼の晴れやかだった顔が、急に悲しそうになった。取っつきを失いながら立去りかねてる悲しみだ。ばか、と私は怒鳴った。そして消えてゆく彼の後から叫んだ。
――死ね、死んでしまえ。
泣き虫だと彼から笑われた私は、不覚にもまた涙をこぼした。厄介な彼、邪魔な彼、自分の半身の彼を、私は愛していたのだ。
底本:「豊島与志雄著作集 第三巻(小説3[#「3」はローマ数字、1−13−23])」未来社
1966(昭和41)年8月10日第1刷発行
初出:「文芸」
1934(昭和9)年6月
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2008年5月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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