弟、夫婦など、どこかではぐれ見失って、見知らぬ者ばかりの群れのようである。
 言葉も記憶もない家畜の群れのようなその行列が、道路ではなく、鉄道線路に沿って歩いていることが、殊に佗びしく悲しい。一本の鉄道線路、それは無限に先へ先へと延びてる感じである。彼等はいつまで歩き続けることだろうか。
 そういう難民が、朝鮮中部の狭い地域で、既に百万に達すると言われる。町も村も破壊されつくし[#「破壊されつくし」は底本では「破懐されつくし」]、山や谷の樹木も焼き払われ、史上嘗て見ないほどの惨害だと言われる。
 誰の仕業か。ただ無意味な戦争の仕業である。
 見ていて、十内は涙ぐんだ。中途で映画館を飛び出した。平然と見ておられる観衆に反感を持った。
 更に強い反感が身近かにも起った。
 十内が社員の一人となってる平洋商事会社は、もともと、軍隊時代に知り合った数名の仲間で設立したもので、初めは軍関係の秘密ストック品を殆んど無償で入手して、莫大な利益を得た。それからずっと闇取引を行ってきたが、ここ一二年、経済界が一先ず安定してくるに従い、仕事らしいものをしなくなった。まあ資金回収を主として、待機の姿勢を取るのだと、代表者の岩田武男はうそぶいていたし、誰もそれに不平を言わなかった。各自が毎月、手当とも配当ともつかない金を貰い、勝手な行動をして、会社は休業同様な状態だった。経理面は岩田一人の手に握られていた。
 最近になって、おかしな片言隻語が、下っ端の野呂十内の耳にもはいってきた。会社は社員そっくり抱えたまま身売りをする、との説もあった。一挙に解散してしまう、との説もあった。半官半民の会社に編成替えされる、との説もあった。其他いろいろで、互に矛盾することばかりだった。
 十内は会社に大して関心を持っていなかったが、事のついでに、それとなく聞き探ってみたところ、要領を得ない返事ばかりで、誰にも真相はわかっていないらしかった。そのうちに唯一人、如何にも自信ありげに、また秘密らしく、十内の耳に囁いてくれる者があった。それによると、岩田は当局筋に取り入って、警察予備隊の枢要な地位を獲得しており、未発表だが、それはもう確定した事実だとのことだった。これからは俺たちの天下だ、と彼はつけ加えた。彼もたぶん、岩田と同じ方面に進むに違いなかった。
 十内は唖然としたが、考えてみれば、不思議なことではなかった。なにか、自分一人が迂闊だったようである。
 全く気が付かなかったのだ。日本再軍備を唱道する声さえ起っていたのである。警察予備隊とは軍隊の異名にすぎないらしくもあった。
 迂闊だっただけに、思いがけない壁にぶつかった気持ちだった。岩田や其他数名は、もうはっきりと将来を決定してるに違いなかった。
 今日、十内は赤松重造の事務所へ行った。前以て電話で打合せはしてあったが、赤松は無雑作に五十万円の現金を渡してくれた。もっとも、この節どういうからくりがあるのか、平洋社へは現金がすらすらとはいってくることが多かった。貸借の精算だと岩田は言っていた。赤松は五十万の現金を十内に渡し終って、煙草をふかしながら言った。きれいに支払いしました代りに、こんどは、私の方をもお引立て願いますと、皮肉な語調だった。
 語調ばかりでなく、赤松は煙草の煙の向うで、ちょっと意地悪そうに見える皮肉な微笑を、短い口髭のほとりに漂わしていた。まああなた方で、しっかりやって下さい、とも言った。
 あなた方、とは何事だ、と十内は思った。然し第三者からのその一言は、十内の胸を打つものがあった。岩田とその一味の行動は、もはや確定的とみてよかった。
 だが、そのことと、あの朝鮮戦乱の悲惨な情景とを、どう結びつけて考えたらよいだろうか。いや、どう整理したらよいだろうか。数年前の軍隊生活の苦い経験を思い起しただけでも、十内は途方にくれた。
 紙幣束のはいってる鞄を抱えながら、重い曇り空の下を、十内は思い沈んで歩いた。霧雨というよりはもっとはっきりした細雨が、はらはらと降ってきた。だが、空気は淀んで、掘割の汚水には漣の小皺も立たず、岸の柳の並木の葉にも小揺ぎがなかった。
 その、柳と掘割との間の空間に、また、あの青服の少女の顔が浮んだ。切り下げた前髪、広い額と清い鼻筋、それだけの仄白い顔が、ぼんやりと宙に浮いて見えた。太陽の面に幾重も幾重も紗のヴェールをかけたかのように、その顔がほんのりと白く静止して、そして、それ自体なにかくるくる廻転していた。
 それが、今は、十内には親しく思えた。
 あのあたりには、平地に小さなクリークが多くて、赤濁りの水中に、藻の花が咲いていたり、睡蓮科の大きな葉っぱが揺れていたりした。岸には楊柳が多かった。
 東京の都心近くの掘割の水は、もっと汚く黒濁りがして、水草などはなかった。その代り、岸の
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