ゃんに帯地を一巻くれた。わたしに内緒のつもりではあるまいが、わたしのいないところでくれたのである。御所車の美しい刺繍のある立派なものだ。それを見てわたしは、あの人がわたしには嘗て何一つ買ってくれたことのないのを、思い浮べた。もしあの人が菊ちゃんに多少の好意を持ってるとしたら、何より好都合だ。
 菊ちゃんはまだ二十にもならない小娘だが、酒場に働いてるだけに、相当物分りはよい筈だ。わたしは菊ちゃんに策略をさずけた。
 来月の一日から一週間ばかり、わたしは田舎に行く用事が出来て、店は休業とする。菊ちゃんも隙になるし、まだ熱海に行ったことがないから、二日から一二泊の予定で、高木さんに連れて行って貰う。――そういうことを、わたしに内緒で、高木さんに頼んでみるのである。是非とも、後生一生の願いだと、頼んでみるのだ。
 菊ちゃんは笑って、なかなか承知しなかったが、わたしは無理に押しつけた。それから数日後、菊ちゃんの報告では、高木さんはわけなく承諾したとのことだ。さすがに、わたしはかっとなった。今に見ておれ、という気になった。
 月末近く、或る日、わたしはさり気なく高木さんに言ってみた。
「月を越したら、二三日、どこかへ連れていって下さらない。熱海でもいいわ。」
 高木さんは眼を丸くした。
「それは、話がへんだね。君は一週間ばかり田舎へ行くし、店は休みにするとか、菊ちゃんが言っていたよ。それで、僕は菊ちゃんを熱海に連れていってやると、約束したんだが……。そんなら、三人で熱海に行こうじゃないか。」
 なんのことはない。高木さんはにこにこ笑っているのだった。
「菊ちゃんと二人でいらっしゃいよ。」
「菊ちゃんと二人じゃ、どうせ面白いことはない。三人で行こうよ。」
 手応えがなくて、わたしは拍子ぬけがしたが、それから急に腹が立ってきた。
「あなたの気持ち、よく分りました。わたし、今晩こそ酔っ払うわ。」
 もっともっと、悪態をついてやりたかったが、言葉が出て来なかった。酒を飲んでるうちに、悲しいのか口惜しいのか分らなくなってきた。
「ねえ、今晩どこかへ連れていって。そしてうんと飲まして。」
 つい寄りかかってゆくような気持ちになるのを、踏みこたえて、唇を噛みしめた。
 けれど、やはり持ちこたえられなかった。自動車をひろって、高木さんの知り合いの特殊旅館へ行き酒を飲んでるうちに、わたしは泣き崩
前へ 次へ
全12ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング