ら下ってきた。彼は一寸途方にくれたが、これはじかに吉岡に話すよりは、敏子さんに話した方がよいと思いついて、そしてそれが最善の方法であると感じて、玄関へ片足下しかけたのを引返して、玄関側の室へ敏子さんを呼んだ。
「実は、一寸吉岡君に逢って、用事だけを果すつもりだったのですが、つい話し込んでしまって、その上用事も持ち出さないでしまったものですから、あなたへ……。」
 といった風の調子で、彼は懐から洋封筒を敏子さんの前に差出した。
 敏子さんは喫驚して眼を見張った。
「吉岡はそんなことを私へは少しも申しておりませんでしたが……。」
 河野は一寸驚いたが、次第に頭を垂れていった。
「それも吉岡君の好意からだったのでしょう。私に気まずい思いをさせないようにと、あなたにまでも隠しておいてくれたのだと思います。」
 そして彼は、吉岡から八百円借りた顛末を話した。――それは四年前の年の暮、河野が最も窮迫した生活をしてる時のことだった。友人の紹介でうっかり借りた高利の金がつもって千円余りになっているのから、厳しい督促が来て、遂に執達吏を向けられてしまった。僅かな家財道具は勿論彼が自分の生命としてる製作品
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